イエスは本当に復活したのですか(2)4つの事実

園の墓

もし筆者が「キリスト教を信じる根拠は何ですか?」と聞かれたとしたら、「イエスの復活です」と答えるでしょう。イエスの復活は、客観的に検証できる歴史上の出来事であるためです。自分の体験を証しすることもできますが、ほかの人が客観的に検証できる根拠となると、イエスの復活だと思います。イエスの復活の記録は、この世界に天地創造の神がおられることを知るための手がかりとして、すべての人の前に、そしてあなたの前に開かれているのです。

もちろん、イエスの復活は歴史上の出来事ですので、タイムマシンでもない限り、100%事実だと証明することはできません。また、過去の出来事は、実験で検証することもできません。ただ、それはすべての歴史上の出来事にも言えることです。たとえば、定評のある山川出版社の世界史の教科書では、ギリシアの北方の国、マケドニアのアレキサンドロス大王について次のように教えています。

アレキサンドロス大王は、これまでギリシア諸国の争いにたびたび干渉してきたペルシアをうつため、マケドニアとギリシアの連合軍を率いて前334年、東方遠征に出発した。…アルベラの戦い(前331年)に勝利してペルシアを滅ぼし、さらに軍をすすめてインド西北部までいたり、東西にまたがる大帝国を築いた。1

山川の世界史
山川出版『詳説世界史』

こう教えてはいますが、この出来事を実際に見た人が今いるわけではありません。それでも上記のように史実として教えることができるのは、そう判断する歴史学的な証拠が十分にあるためです。

イエスの復活に関しても同様のことが言えます。さすがに「イエスは復活した」とは書いてありませんが、上記で引用した世界史の教科書は、イエスの復活に関して次のように教えています。

祭司やパリサイ派はイエスをローマに対する反逆者として総督ピラトに訴えたため、彼は十字架にかけられ処刑された(30年頃)。しかしその後、弟子たちのあいだにイエスが復活し、その十字架上での死は人間の罪をあがなう行為であったとの信仰が生まれ、これを中心にキリスト教が成立した。その後まもなくペテロやパウロらの使徒によって、伝道活動が始まった。2

ここでは、以下のことが史実として教えられています。

  • イエスは十字架にかけられ処刑された(紀元30年頃)。
  • 弟子たちはイエスが復活したと信じた。
  • この復活信仰をもとにキリスト教が成立した。
  • ペテロやパウロといった使徒がキリスト教を広く宣べ伝えた。

以上のことは、歴史学的に検証しても十分な根拠があるので、史実として教えられています。このように、過去の出来事であっても、また聖書に書かれていることであっても、歴史学的に事実かどうかを検証することはできます。その結果、100%とは言えなくても、ほぼ確実に事実であるとか、事実である可能性が高いなどと、客観的に判断することができるのです。この歴史学的な判断基準に照らしてイエスの復活を検証するのが、このシリーズの目的です。

MEMO
少し用語の説明をします。ここで言う「歴史的事実(historical fact)」とは、過去に実際に起こった出来事そのものを指します。一方、「史実(established historical fact)」とは、歴史的資料を検証した結果、実際に起こったとするのが最も妥当と判断された歴史上の出来事を指します。また、「事実」は「歴史的事実」とほぼ同じで、「出来事」は事実かどうかの判断を含まない用語です。

イエスの復活を歴史学的に検証する

クリスチャンは、聖書を神のことばと信じています。しかし、聖書を神のことばとして信じていない人でも、イエスが復活したと信じる根拠は十分にあることを確認することはできます。

聖書は、ユダヤ教、キリスト教の教典というだけでなく、歴史的資料でもあります。しかも、新約聖書にはイエスの復活に関する一次資料が含まれています。聖書は、歴史的な信頼性についても定評がある書物です。新約聖書(特に『ルカの福音書』と『使徒の働き』)を研究した学者、ウィリアム・ラムゼイ(William M. Ramsay、1851~1939年)は、次のように語っています。

(『ルカの福音書』と『使徒の働き』を書いた)ルカは第一級の歴史家である。事実の記述が信頼できるというだけでなく、真の歴史感覚を備えている。…要するに、この著者は、最も偉大な歴史家たちと同列に置かれるべき人物である。3

“Luke is a historian of the first rank: not merely are his statements of fact trustworthy, he is possessed of the true historic sense; … In short, this author should be placed along with the very greatest of historians.”

ラムゼイは、新約聖書の研究を始めた頃は、聖書を歴史的資料として信頼できないものと考え、批判的な立場で研究していました。しかし、小アジア(現在のトルコ)で現地調査と考古学的発見を行ううちに、新約聖書の歴史的な正確性を認めるに至ったのです。このような証言は、ラムゼイだけでなく、多くの研究者が行っていることです。

また、英国の聖書学者で、マンチェスター大学教授を務めたF・F・ブルース(Frederick Fyvie Bruce、1910~1990年)は、新約聖書の信頼性について次のように語っています。

新約聖書を裏づける証拠は、古典作家の多くの著作を裏づける証拠よりもはるかに豊富である。そうした著作の真実性については、疑うことなど誰も考えもしないのだ。もし新約聖書が宗教的なものではなく世俗的な文書の集まりであったなら、その真実性はほとんど疑いの余地がないものとして一般に受け止められていただろう。歴史家の方が、多くの神学者よりも新約聖書を信頼する傾向にあるのは興味深い事実である。4

“The evidence for our New Testament writings is ever so much greater than the evidence for many writings of classical authors, the authenticity of which no-one dreams of questioning. And if the New Testament were a collection of secular writings, their authenticity would generally be regarded as beyond all doubt. It is a curious fact that historians have often been much readier to trust the New Testament than have many theologians.”

MEMO
新約聖書の歴史的資料としての信頼性について詳しくは、記事「新約聖書は歴史的資料として信頼できますか」(作成中)をご参照ください。

以下では、歴史家と同様に聖書を歴史的資料として扱い、歴史学的にイエスの復活を検証していきます。

歴史学的に事実を確認する基準

聖書を歴史的資料として取り扱い、事実かどうかを判定するには、歴史学で採用されている基準に従う必要があります。歴史学では、次のような条件を満たしている場合、事実である可能性が高いとします。

  • 複数の独立した史料で証言されている
  • 時代的に近い証言である
  • 伝聞情報ではなく、目撃者の証言である
  • 敵対者・第三者の証言である
  • 当人にとって都合の悪い証言である
  • すでに知られている史実と整合性がある

たとえば、上記の基準に照らし合わせて、イエス・キリストが実在したことはほぼ確実な事実であると専門家が認めています。

  • 複数の独立した史料で証言されている
    • マルコの福音書、ヨハネの福音書、パウロ書簡など、互いに独立した証言資料が存在する。
  • 時代的に近い証言である
    • 新約聖書の福音書や書簡は、イエスの死後20〜60年ほどの間に書かれている。
    • 最も古いパウロ書簡は紀元50年代の執筆で、イエスの死から20年ほどしか経っていない。
  • 敵対者・第三者の証言がある
    • 新約聖書以外にも、ユダヤ人史家のヨセフス(1世紀)や、ローマ史家のタキトゥス(1世紀末)など、第三者や敵対者の証言がある。
  • 当人にとって都合の悪い証言である
    • 当時、十字架刑は最も屈辱的な処刑方法だった。イエスの十字架上での死は、事実でなければ弟子たちが書くような内容ではない。
  • すでに知られている史実と整合性がある
    • イエスに関する福音書の記述は、当時の律法論争やメシア待望論など、1世紀のユダヤ的文脈によく合致している。

このような条件を満たしているので、イエスが実在の人物であることは史実であるとされています。

イエスの復活に関しても、上記のような歴史学の基準を適用して、事実であると学者の意見がほぼ一致している、あるいは大多数の意見が一致している出来事が4つあります。この4つの史実について、次に見ていきたいと思います。

イエスの復活に関連する4つの史実

ここでは、イエスの復活に関連する出来事で、歴史的な事実であるとして学者の意見がほぼ一致している、あるいは大多数の意見が一致しているものを紹介します。なお、ここで言う「学者」には、聖書を信じる人々だけでなく、神を信じない無神論者や、神がいるかどうかは知り得ないとする不可知論者も多数含まれます。

MEMO
歴史学で歴史上の事実を認定するのに、学者全員が「確実(certain)」と判断することはまずありません。可能性が限りなく低くても、通説とは別の解釈を思いつくことができるためと、新たな証拠が出てくる可能性を否定できないためです。そのため、学者が「ほぼ確実(virtually certain)」と判断している場合は、史実と認定されていると考えます。英国の新約聖書学者、ジェームズ・D・G・ダン(James D. G. Dunn)は、歴史的事実かどうかの判断について次のように言っています。

批判的方法を用いる研究者(critical scholar)は、史料の質を反映した、慎重に段階付けた判断を下すことを学ぶ。すなわち、「ほぼ確実(almost certain)」(単に「確実」とは決して言わない)、「きわめて蓋然性が高い(very probable)」「蓋然性が高い(probable)」「あり得る(likely)」「可能性がある(possible)」などである。歴史学においては、「蓋然性が高い(probable)」という判断は、きわめて肯定的な評価である。5

“The critical scholar learns to make carefully graded judgments which reflect the quality of the data—almost certain (never simply ‘certain’), very probable, probable, likely, possible, and so on. In historical scholarship the judgment ‘probable’ is a very positive verdict.”

ここは専門家の発言の引用なので「蓋然性」という言葉を使っていますが、記事の本文では一般的な「可能性」という言葉を使って説明しています。

以下に紹介する3つは、新約聖書や当時の歴史を専門とする学者が事実であるとして意見がほぼ一致しているものです。

  1. イエスは十字架にかけられて死んだ。
  2. イエスの弟子たちは、復活したイエスに出会ったと証言した。
  3. 復活したイエスに出会ったと証言した人々の人生が、その前後で一変した。

上記ほどではないものの、大多数の学者がほぼ確実な事実と認定しているのが以下です。

  1. イエスの墓は空になっていた。

今回は、1と2の史実を取り上げ、3と4は次回以降の記事で取り上げます。

1.イエスは十字架にかけられて死んだ

山川の世界史の教科書に書かれていたように、イエスが十字架上で死んだことが事実であることについて、学者の間でほぼ異論はありません。イエスの十字架刑は、聖書以外にも数多くの歴史的資料で言及されているほか、それ以外の点でも事実だと判断する基準に十分合致しているからです。

敵対者・第三者の証言

イエスが十字架にかけられて死んだことについては、敵対者・第三者の証言が多数あります。

十字架

たとえば、キリスト教徒を迫害したローマ帝国の史家タキトゥス(紀元55年頃~120年頃)は、「クリストス(キリスト)は、ティベリウス帝の治世下でユダヤの総督を務めていたポンテオ・ピラトの手によって極刑に処された」と記しています(付録「A. タキトゥス」参照)。ここで言う「極刑」とは、十字架刑を指しています。また、キリスト教徒ではないユダヤ人史家のヨセフス(紀元37年~100年頃)も、「ピラトスは、彼(キリスト)がわれわれの指導者たちによって告発されると、十字架刑の判決を下した」と記録しています(付録「B. ヨセフス」参照)。

そのほかにも、ギリシャの風刺作家、サモサタのルキアノス(紀元2世紀中頃)は、「この傑出した人物(キリスト)は、新しい祭儀を導入し、そのために十字架にかけられた」と記しています(付録「C. ルキアノス」参照)。マラ・バル・セラピオン(紀元1~2世紀)というシリア人も、キリストという名は出していないものの「ユダヤ人にとって、彼らの賢明なる王を殺害したことで何の利益があったというのか」と記しており、キリストが殺害されたことに言及しています(付録「D. マラ・バル・セラピオン」参照)。

このようなキリスト教徒の敵対者あるいは第三者の証言は、信頼性が高いものとして評価されています。

結論

「イエス・セミナー(Jesus Seminar)」と呼ばれる聖書を批判的に研究するグループの一員で、その中でも特に懐疑的な批評家であるジョン・ドミニク・クロッサン(John Dominic Crossan)は、次にように語っています。

イエスが十字架にかけられたことは、史実として考えうる限り最も確実なものである。6

That he was crucified is as sure as anything historical can ever be.

聖書の記述に懐疑的な学者でも、イエスが十字架にかけられたことは疑いようのない史実ととらえていることがわかります。

世界史の教科書を見てもわかるように、イエスが十字架にかけられて死んだことは歴史学的にほぼ確実とみられており、史実と認められています。

2.イエスの弟子たちは、復活したイエスに出会ったと証言した

イエスの復活に関してもう一つ歴史的に事実とされていることは、イエスの弟子たちが復活したイエスに出会ったと証言したことです。

複数の独立した史料による証言

弟子たちが復活したイエスに出会ったことは、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカの福音書)にも、ヨハネの福音書にも記録されています。

また、教会教父も、使徒たちは復活したイエスに会ったと信じていたことを証言していています。教会教父とは、初代教会の使徒が地上を去った直後の時代に、教会を指導した初期の教会指導者のことです。

教会教父の一人で、使徒ペテロにローマ司教に任命されたとされるクレメンスは、使徒たちは「主イエス・キリストの復活によって与えられた全き確信」に立っていたと証言しています(付録「E. ローマのクレメンス」参照)。また、使徒ヨハネにスミルナという町の司教に任命されたとされるポリュカルポスも、使徒たちが地上での苦難を耐え忍んだのは「この世ではなく、私たちのために死に、また私たちのために神がよみがえらせてくださった方[キリスト]を愛したからです」と語っています(付録「F. ポリュカルポス」参照)。どちらも使徒たちはイエスの復活を固く信じていたことを証言しています。

敵対者・第三者による証言

ユダヤ人史家のヨセフスは、『ユダヤ古代誌』の中で、復活のイエスを弟子たちが目撃したことについて触れ、「彼[キリスト]は三日目に復活して、彼ら[弟子たち]の中にその姿を見せた」と記しています。

MEMO
上記は「キリスト証言」と呼ばれる箇所に書かれています。「キリスト証言」はあまりにもキリスト教に有利な発言なので、後代のキリスト教徒に改変されているという主張があります。ただ、その後に発見され、改変の可能性が少ないとされるアラビア語版の『ユダヤ古代誌』でも、大筋の内容は同じであることが確認されています(付録「B. ヨセフス」参照)。

時代的に近い証言

現在、学者のほぼ一致した意見となっているのは、福音書はすべて1世紀に成立したというものです。そう考えた場合、長く見積もっても、最後の福音書が完成した時でもイエスの十字架刑(紀元30年)から70年しか経っていないわけです。

福音書の中ではマルコの福音書が最も成立時期が早いとされ、学会の主流派の意見では紀元65年~70年の執筆となっています。筆者はもう少し早い紀元55年~60年の執筆と考えていますが、いずれにしてもイエスの十字架刑から25~40年ほどしか経っていません。そのため、歴史学的に見ると、出来事から時間的に近い時点で記録されたことになります。

MEMO
マルコの福音書は、写本によって最後の部分が異なります。古い写本の中には、弟子たちが復活のイエスに会った場面は描かれていません。ただし、その場合でも御使いがイエスが復活したことを宣言する場面で終わっているので、イエスの復活を語っていることに変わりはありません。

福音書が書かれた年代は学者によって意見が分かれる傾向にありますが、パウロが書いたコリント人への手紙第一が書かれた年については意見の一致が見られ、紀元55年頃とされています。多くの学者は、以下の1コリント15:3~8はイエスの復活に言及した最も古い記録と考えています。

3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 4  また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、 5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。 

6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。 7 その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。 8 そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。(1コリント15:3~8)

ここでは、復活したイエスが以下の集団と個人に現れたと言われています。

  • ケファ(ペテロ)
  • 十二弟子(十二使徒)
  • 五百人以上の兄弟たち(弟子たち)
  • ヤコブ(イエスの兄弟ヤコブ)
  • すべての使徒(十二使徒、ヤコブ、パウロ以外の使徒[バルナバなど]を含む)
  • パウロ

近年の研究では、この部分はパウロが書いたというよりも、すでに存在した「信仰信条」を挿入したものと考えられています。信仰信条とは、今もある「使徒信条」のように、キリスト教の核心的な教えを短い文章にまとめた信仰告白です。この部分がすでにあった信仰信条であるとわかるのは「私も受けたことであって」(1コリント15:3)というパウロのことばです。つまり、パウロはこの部分を人から受け取った内容であると語っています。また、繰り返しが多く、読むとリズムがあって暗記しやすいようになっている、ほかの部分とは使われている語彙が違うなどの信仰信条の特徴に合致しています。そのため、この部分が初代教会の信仰信条であることは、研究者の間ではほぼ共通認識となっています。つまり、この部分が作成された時期は、パウロが手紙を書いた紀元55年よりもずっと古いということになります。

パウロは、教会を迫害するためにダマスカスに向かう途上で復活のキリストに会い、キリストを信じて回心したとされます。これは紀元33~36年の出来事と言われています。パウロは、この後アラビア地方に行き、エルサレムに上って使徒たちに会ったのは回心の3年後だと語っています(ガラテヤ1:18~19)。そうなると、パウロが初めてエルサレムに上ったのは紀元36~39年の間の出来事ということになります。ここでパウロは初めて、使徒(ペテロとイエスの兄弟ヤコブ)と会います。パウロが1コリント15:3~7の信仰信条を受け取ったのは、この時であるという説が有力です。これが正しいとすると、イエスの十字架上での死から6~9年後には、上記の信仰信条がすでに存在していたことになります。歴史学では、このような短い期間に事実が粉飾されて伝説化するということは起きにくいとされています。

結論

シカゴ大学のノーマン・ペリン教授は、イエスの復活を否定した新約聖書学者ですが、それでも復活のイエスに会ったという弟子たちの証言について次のように記しています。

[イエスが弟子たちに]現れたことに関する伝承を研究すればするほど、その根拠となっている岩はさらに堅固なものに見えてくる。7

“The more we study the tradition with regard to the appearances, the firmer the rock begins to appear upon which they are based.”

復活という奇跡自体は信じられなくても、イエスの弟子たちが復活のイエスを見たという証言自体は、史実として否定するのは困難であることを認めた発言です。

まとめ

以上で、イエスの復活に関連する以下の2つの出来事は、歴史学的に史実と認められていることを見ました。

  1. イエスは十字架にかけられて死んだ。
  2. イエスの弟子たちは、復活したイエスに出会ったと証言した。

次回以降では、残る以下の史実について歴史学的に検証していきます。

  1. 復活したイエスに出会ったと証言した人々の人生は、その前後で一変した。
  2. イエスの墓は空になっていた。

付録

A. タキトゥス

コルネリウス・タキトゥス(Cornelius Tacitus、紀元55年頃~120年頃)は、帝政期ローマの政治家、歴史家です。タキトゥスは、著書『年代記』にキリストに関して次のように記しています。

(ローマの大火は皇帝ネロの命令だという噂が消えなかったので)ネロは、噂を打ち消すため、その数の多さのために憎まれていたクリスチャンと呼ばれる人々に罪を着せ、最も残酷な拷問で罰した。クリスチャンという名の元になったクリストス(キリスト)は、ティベリウス帝の治世下でユダヤの総督を務めていたポンテオ・ピラトの手によって極刑に処された。この忌まわしい迷信は、ひとときは抑え込まれたものの、この害悪が生まれたユダヤ地方だけでなく、世界のあらゆる地域から忌まわしく恥ずべきものが集まり流行するローマでも勢力が拡大していた。

Consequently, to get rid of the report, Nero fastened the guilt and inflicted the most exquisite tortures on a class hated for their abominations, called “Chrestians” by the populace. Christus, from whom the name had its origin, suffered the extreme penalty during the reign of Tiberius at the hands of one of our procurators, Pontius Pilatus, and a most mischievous superstition, thus checked for the moment, again broke out not only in Judaea, the first source of the evil, but even in Rome, where all things hideous and shameful from every part of the world find their centre and become popular. ― Tacitus, Annals 15.44

ここで「極刑」と言われているのは、十字架刑を指しています。

B. ヨセフス

ティトゥス・フラウィウス・ヨセフス (紀元37年~100年頃)は、 帝政ローマ期のユダヤ人政治家、歴史家です。 新約聖書が成立する時期に生きたユダヤ人で、この時代の証人として貴重な証言を残しています。

B.1. 「キリスト証言」(原語[ギリシア語])

ユダヤ人史家のヨセフスは、著書『ユダヤ古代誌』(紀元93~94年に執筆)で、イエスについて次のように記しています。

さてこのころ、イエスス(イエス)という賢人──実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならば──が現われた。彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。そして、多くのユダヤ人と少なからざるギリシア人とを帰依させた。彼こそはクリストス(キリスト)だったのである。ピラトスは、彼がわれわれの指導者たちによって告発されると、十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは、彼を見捨てようとはしなかった。すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。ー フラウィウス・ヨセフス(秦剛平訳)『ユダヤ古代誌6』(筑摩書房、2000年)Kindle 版

B.2. 「キリスト証言」(アラビア語版)

原語(ギリシア語)の「キリスト証言」は、「彼こそはクリストス(キリスト)だったのである」のようにキリスト教に有利な証言が入っているので、キリスト教徒による改変が疑われていました。しかし、改変の疑いが少ないアラビア語版の『ユダヤ古代誌』が発見されており、その内容は元のギリシア語版と大筋では変わらないことが確認されています。以下はアラビア語版を英語に翻訳したものを、さらに日本語に翻訳したものです。

この頃に、イエスと呼ばれる賢者がいた。その行いは正しく、徳のある人物として知られていた。多くのユダヤ人や異邦人がイエスの弟子となっていた。その彼をピラトは十字架刑に処し、死に至らせたのである。しかし、イエスの弟子となっていた人々は、彼の弟子であることをやめなかった。彼らは、十字架にかけられてから三日後にイエスが自分たちの前に現れ、生きているのを見たと証言した。そのため、イエスは、預言者が不思議なわざを行うと語ってきた、あのメシアであったのだろう。

At this time there was a wise man who was called Jesus. And his conduct was good, and [he] was known to be virtuous. And many people from among the Jews and the other nations became his disciples. Pilate condemned him to be crucified and to die. And those who had become his disciples did not abandon his discipleship. They reported that he had appeared to them three days after his crucifixion and that he was alive; accordingly he was perhaps the Messiah concerning whom the prophets have recounted wonders. ― Josephus, Antiquities 18:3 (Arabic version) as cited in Shlomo Pines, “Arabic Version of the Testimonium Flavianum and its Implications” (The Israel Academy of Sciences and Humanities, 1971)

C. ルキアノス

サモサタのルキアノス(120年または125年頃~180年以降)は、ローマ帝国期にギリシャ語で執筆活動を行ったアッシリア人の風刺作家で、多くの著作が伝わっています。著書『ペレグリノスの死』では、キリスト教徒を嘲笑しつつ、以下のように記しています。

キリスト教徒は、ご存知の通り、今日に至るまで一人の人を礼拝している。この傑出した人物は、新しい祭儀を導入し、そのために十字架にかけられたのである。

“The Christians, you know, worship a man to this day—the distinguished personage who introduced their novel rites, and was crucified on that account.”― Lucian of Samosata, The Death of Peregrine, 11–13 (https://sacred-texts.com/cla/luc/wl4/wl420.htm)

D. マラ・バル・セラピオン

マラ・バル・セラピオン(Mara bar-Serapion)は、「セラピオンの子マラ」という意味で、1〜2世紀頃に活動したストア派哲学者です。彼がアラム語で息子宛てに書いた手紙では「ユダヤ人の賢明なる王」の処刑について言及しており、キリスト教徒ではない人物によるナザレのイエスに関する初期の言及である可能性があります。ほとんどの学者は、この手紙が書かれた年代を紀元73年の直後としています。

ユダヤ人にとって、彼らの賢明なる王を殺害したことで何の利益があったというのか。その時以来、彼らの王国は彼らから奪い去られたではないか。

Or [what advantage came to] the Jews by the murder of their Wise King, seeing that from that very time their kingdom was driven away from them? ― A Letter of Mara, Son of Serapion (https://www.newadvent.org/fathers/0863.htm)

E. ローマのクレメンス

ローマのクレメンス(紀元30年頃~101年頃)は、初代教会時代のローマ司教です。教会教父の中でも、使徒から直接教えを受けたとされる使徒教父の一人です。使徒ペテロの直弟子と言われ、ペテロによってローマの司教に任命されたとされています。

E.1 コリント教会への手紙

クレメンスは、紀元95年頃にコリント教会に書き送った手紙で、イエスが復活したという確信に立って使徒が宣教を行ったと語っています。

それゆえ、受けた命令と主イエス・キリストの復活によって与えられた全き確信に立った彼ら[使徒たち]は、神のことばを信じ、聖霊の確信をもって進み、神の国がまさに到来しようとしているという福音を宣べ伝えたのである。

“Therefore, having received orders and complete certainty caused by the resurrection of our Lord Jesus Christ and believing in the Word of God, they went with the Holy Spirit’s certainty, preaching the good news that the kingdom of God is about to come.” ― First Clement 42:3. (translated by Gary Habermas) as cited in Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus
E.2 エイレナイオスによるローマのクレメンスへの言及

クレメンスのコリント教会への手紙について、同じく教会教父の一人であるリヨンのエイレナイオス(紀元130年頃~202年)が、著書『異端反駁』で次のように言及しています。

クレメンスには司教職があてがわれた。クレメンスは祝福された使徒たちと会い、会話を交わしたことがある人で、その耳で聞いた使徒たちの説教がいまだ心の中で響いていたと言えるだろう。また、その目の前で、使徒たちの言い伝えが教えられたのである。クレメンスだけでなく、当時は使徒たちから教えを受けた人がたくさんいた。このクレメンスの時代に、コリントの兄弟たちの間に少なからぬ争いが生じたため、ローマの教会はコリントの人々にきわめて重みのある手紙を送ったのである。

“Clement was allotted the bishopric. This man, as he had seen the blessed apostles, and had been conversant with them, might be said to have the preaching of the apostles still echoing, and their traditions before his eyes. Nor was he alone, for there were many still remaining who had received instructions from the apostles. In the time of this Clement, no small dissension having occurred among the brothers at Corinth, the Church in Rome dispatched a most powerful letter to the Corinthians.” ― Irenaeus, Against Heresies (http://www.earlychristianwritings.com/text/irenaeus-book3.html)

この文面を見ると、クレメンスは使徒たちと直接話すことができた人物であることがわかります。そのため、使徒たちに関する証言は、自分が直接体験したことの証言と言えます。

F. ポリュカルポス

ポリュカルポス(紀元69年頃~155年頃)は、スミルナの主教(司教、監督)であり、 使徒たちから直接教えを受けた使徒教父です。殉教者として死んだと言われています。

F.1 ピリピ教会への手紙

ポリュカルポスは、ピリピの教会に次のような手紙を書き送っています。

それゆえ、私はあなたがたすべてに勧めます。義の言葉に従い、あらゆる忍耐を働かせなさい。あなたがたは、祝福されたイグナティオス、ゾシモス、ルフォス、またあなたがたの中から出た人々、さらにパウロ自身やほかの使徒たちの忍耐を、その目で見たではありませんか。私は確信しています。この人々は、むなしく走ったのではなく、信仰と義によって走り抜き、今や、主の御前にあって、ふさわしい場所にいるのです。主と共に、彼らは苦しみも受けたのです。彼らは、この世ではなく、私たちのために死に、また私たちのために神がよみがえらせてくださった方を愛したからです

I exhort you all therefore to be obedient unto the word of righteousness and to practice all endurance, which also ye saw with your own eyes in the blessed Ignatius and Zosimus and Rufus, yea and in others also who came from among yourselves, as well as in Paul himself and the rest of the Apostles; being persuaded that all these ran not in vain but in faith and righteousness, and that they are in their due place in the presence of the Lord, with whom also they suffered. For they loved not the present world, but Him that died for our sakes and was raised by God for us. ― The Epistle of Polycarp to the Philippians (Translated by J.B. Lightfoot), Chapter 9 (https://www.christian-history.org/polycarps-philippian-epistle.html)

この手紙の中で、ポリュカルポスはイエスの復活について5回言及しています。

F.2 エイレナイオスによるポリュカルポスへの言及

教会教父のエイレナイオス(130年頃~202年)は、著書『異端反駁』で、使徒教父であるポリュカルポスについて、次のように言及しています。

ポリュカルポスは、使徒たちから教えを受け、キリストを見た人々と話をしただけではなく、アジアの使徒たちによってスミルナの教会の司教に任命された。ポリュカルポスには私も会ったことがあって、この地上で長く生きて老境に達した後に、栄光に満ちた高貴な殉教を遂げ、地上生涯を終えた。ポリュカルポスはいつも使徒から学んだことを教えていた。

Polycarp also was not only instructed by apostles, and conversed with many who had seen Christ, but was also, by apostles in Asia, appointed bishop of the church in Smyrna, whom I also saw in my early youth, for he tarried [on earth] a very long time, and, when a very old man, gloriously and most nobly suffering martyrdom, departed this life, having always taught the things which he had learned from the apostles. ― Irenaeus, Against Heresies, 3:3:4 (http://www.earlychristianwritings.com/polycarp.html)

この文面を見ると、ポリュカルポスは使徒たちと直接話すことができた人物であることがわかります。そのため、使徒たちに関する証言は、自分が直接体験したことの証言と言えます。

参考資料

  • Gary R. Habermas and Michael R. Licona, The Case for the Resurrection of Jesus (Kregel, 2004)
  • Gary R. Habermas, On the Resurrection, Volume 1: Evidences (B&H Academic, 2024)
  • John C. Lennox, Gunning for God: Why the New Atheists Are Missing the Target (Lion Hudson, 2011), Chapter 8 “Did Jesus Rise from Dead?”
  • Lee Strobel, Is God Real? (Zondervan, 2023), Chapter 4 “Easter Showed That Jesus is God”
  • Lee Strobel, The Case for Easter: A Journalist Investigates Evidence for the Resurrection (Zondervan, 2009)
  • Titus Kennedy, Excavating the Evidence for Jesus (Harvest House Publishers, 2022), Chapter 8, “The Burial, Tomb, and Resurrection of Jesus”

写真:Gary Todd (CC0)

脚注

  1. 『詳説世界史』(山川出版社、2015年)P.37

  2. 『詳説世界史』(山川出版社、2015年)P.47

  3. William M. Ramsay, The Bearing of Recent Discovery on the Trustworthiness of the New Testament (London; New York; Toronto: Hodder and Stoughton, 1915), 222.

  4. F. F. Bruce, The New Testament Documents: Are They Reliable? (https://www.reformedontheweb.com/bibliology2/nt-documents-reliable-f-f-bruce.pdf)

  5. James D. G. Dunn, Jesus Remembered, vol. 1 of Christianity in the Making (Grand Rapids: Eerdmans, 2003), 101. as cited in Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus

  6. John Dominic Crossan, Jesus: A Revolutionary Biography (San Francisco: HarperCollins, 1991), 145. as cited in Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus

  7. Norman Perrin, The Resurrection According to Matthew, Mark, and Luke (Philadelphia: Fortress, 1977), 80. as cited in Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus

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