今回も、聖書に描かれている天国がどのような場所であるか、天国に「ない」と言われているものを通して見ていきたいと思います。
> 天国にないもの天国にないもの
以下は、最終的な天国である「新天新地」と「新しいエルサレム」にないと言われているもののリストです(黙示録21~22章)。
- 神殿(黙示録21:22)
- 海(黙示録21:1)
- のろい(黙示録22:3)
- 太陽と月(黙示録21:23)
- 夜(黙示録21:25)
- 罪(黙示録21:8、27)
- 死、悲しみ、苦しみ(黙示録21:4)
前回は神殿を取り上げましたので、それ以降を見ていきます。
> 2. 海がない2. 海がない
黙示録21章に始まる新天新地の記述で最初にないと言われているものは、海です。黙示録21章1節では次のように言われています。
1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。(黙示録21:1)
海は、ユダヤ的にはさばきの象徴です。出エジプトの時代、イスラエルの民を追撃してきたエジプト軍は海にのまれて滅びました。ノアの時代にも、世界は洪水によって滅び、海の下に沈みました。このように聖書では海はさばきの象徴となっています。
ユダヤ人神学者のアーノルド・フルクテンバウム博士は、創世記1章2節の記述と関連付けて、神が創造した最初の世界に海はなかったと語っています。創世記1章1~2節では、次のように言われています。
1 はじめに神が天と地を創造された。 2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。(創世記1:1~2)
フルクテンバウム博士によると、はじめに創造された世界は完全だったが、その後、最高位の天使であったサタンが堕落したことにより、地球もさばきを受けて海に覆われたとされます。これが、創世記1章1節と2節の間に起こったことです。フルクテンバウム博士は次のように語っています。
もともと地球には、海はなかった。… 神がサタンを裁かれた時、サタンの支配下にあったものもさばかれた。その中には、当時の地球も含まれていたのである。… 地球は完全に塩水によって覆われ、…「闇が大水の面の上にあった」。これが、創世記1:2に記されている元々の地球と破壊の状況である。ヨハネの黙示録21:1~22:5で語られる「新しい地」は、あらゆる時代の信者が永遠に住む場所となる。この新しい地は、やがて元の状態に戻ると聖書は語っているのである。
Originally, the earth had no oceans and no seas… When God judged Satan, He also judged that which was under Satan’s authority, which at that time included the earth… The earth was now totally covered by salt water… Now darkness was upon the face of the deep. That was the nature of the original earth and its destruction in Genesis 1:2. When the Book of Revelation discusses the new earth in Revelation 21:1 through 22:5, it states that the new earth, which will be the eternal abode of all believers of all time for all eternity, is going to be a return to the original condition.
― Arnold G. Fruchtenbaum, Ariel’s Bible Commentary: The Book of Genesis (Ariel Ministries), p.40-41(PDF版)
フルクテンバウム博士が言う「元の状態」とは、海のない地球のことです。神のさばきの結果がすべて取り去られた新天新地では、さばきの象徴である海がないというのです。聖書に無駄な記述はありません。黙示録21:1で「もはや海もない」と言われていることには深い意味があるのです。
聖書の記述は、創世記から黙示録まで一貫しています。黙示録が書かれたのは、創世記が書かれた時代の約千五百年後です。しかし、不思議な一貫性があるのです。この一貫性は、聖書を記したのは各時代のユダヤ人やクリスチャンであっても、最終的な著者は神であることを指し示しています。
そのほかにも、黙示録には創世記と関連する記述がいくつかあります。
> 3. のろいがない3. のろいがない
新天新地には、のろわれるものが一切ないと言われています。聖書にはこうあります。
3 もはや、のろわれるものは何もない。…(黙示録22:3)
ということは、今の世界にはのろいがある、ということになります。この世界に対するのろいの代表的なものは、創世記3:17~19に記されているアダムの罪に対するのろいです。
17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。 18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。 19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」(創世記3:17~19)
このアダムの罪に対するのろいによって、被造世界はのろわれたと聖書は語っています。また、ローマ人への手紙でも、この世界の被造物はのろいの下にあることが明らかにされています。
19 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。 20 被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。 21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。 22 私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。(ローマ8:19~22)
ここでは「被造物が虚無に服した」(21節)とあります。「虚無」はギリシア語の名詞「マテオテース」で、むなしさ、無益といった意味があります。また、被造世界は「滅びの束縛」にあるとも言われています。つまり、アダムの罪に対するのろいを受けて動植物の世界にも死が入り、はかなく滅びゆく存在となったということです。しかし、被造物はやがて「神の子どもたちの栄光の自由にあずかる」とも言われています。この成就が、新天新地です。
先ほどは、地球はサタンが罪を犯す前の海がない状態に戻ると述べました。ここでも、新天新地では被造物へののろいが取り去られ、アダム(人類)が罪を犯す前の時代に戻ることが約束されています。こうして見ていくと、黙示録に記されている新天新地は、創世記に記されている罪に対するさばきやのろいが取り除かれた世界であることがわかります。
> 4. 太陽も月もない4. 太陽も月もない
黙示録では、新天新地の太陽と月について次のように言われています。
23 都は、これを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。 24 諸国の民は都の光によって歩み、地の王たちは自分たちの栄光を都に携えて来る。(黙示録21:23~24)
新天新地では「太陽も月も必要としない」と言われています。「必要としない」であって「ない」とは言われていないので、太陽と月がないとは断言できません。ただ、神の栄光がすべてを照らすので、太陽と月の必要性がなくなります。
創世記を読むと、これによく似た状況が記されていることがわかります。太陽と月が創造されたのは創造の四日目のことですが(創世記1:14~19)、その前からすでに「光」があったためです。創世記にはこう記されています。
3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。 4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。 5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。(創世記1:3~5)
光は、創造の一日目から存在しています。この「光」とは、神の栄光を現す光で、「シャカイナ・グローリー1」と呼ばれるものです。つまり、黙示録21:23で言われている「神の栄光」が地上を照らしているのと同じ状況です。
ここでも、黙示録と創世記が深く関係していることがわかります。黙示録に記されている新天新地とは、創世記に記された被造世界を神が意図された状態に戻した後の世界であることがわかります。
> 5. 夜がない5. 夜がない
新天新地には、太陽と月がないだけでなく、夜もないといわれています。
25 都の門は一日中、決して閉じられない。そこには夜がないからである。(黙示録21:25)
この部分は、創世記に対応する部分がない記述です。先ほども引用しましたが、創世記では次のように言われています。
3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。 4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。 5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。(創世記1:3~5)
創世記1:4を読むと、光があった時には、闇もあったことがわかります。一方、新天新地では「夜がない」と言われています。この違いは、創世記1:3では、すでにサタン(悪魔)の堕落があったためだと考えられます。堕落したサタンの存在を象徴するのが暗闇です(エペソ6:12参照)。しかし、新天新地の時代には、サタンはすでに火の池に投げ込まれているので(黙示録20:10)、闇自体が存在しないのです。
この点で、新天新地は、人類が罪を犯す前のエデンの園よりも理想的な状態にあることがわかります。アダムとエバはエデンの園で蛇(サタン)に誘惑されて罪を犯しましたが、新天新地では誘惑するサタン自体が存在しないためです。
> 6. 罪がない6. 罪がない
新天新地にないものの最後は、罪です。黙示録では次のように言われています。
8 しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録21:8)
ここに挙げられているのは、さまざまな罪人の例です。こうした人々は「火と硫黄の燃える池」、つまり地獄に行くので、新天新地に入ることはできません。ここで挙げられている罪は例示であって、すべてではありません(黙示録21:27、22:15参照)。あらゆる罪人は、新天新地に入ることができないのです。一方、新天新地に入る人は、原罪のない栄光の体に変えられています。そのため、罪を犯すことがありません(1ヨハネ3:2参照)。つまり、新天新地には、罪が存在しないのです。
私たちは小さい頃から、自分が欲しいもののために暴力を振るう、嘘をつく、自分より良いものを持っている人を妬むといった罪のある世界に慣れてしまっています。そのため、罪のない世界というものをなかなか想像することができません。しかし、きよい神が臨在する天国には、罪は存在することができないのです。
> 7. 死、悲しみ、苦しみがない7. 死、悲しみ、苦しみがない
のろいもなく、サタンもいない世界で、人々は神にあって安息を得ます。黙示録では、次のように約束されています。
4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。(黙示録21:4)
地上で悲しみ、苦しんだ人も、新天新地では神にあって慰められます。ダビデは詩篇でこう語っています。
8 あなたは 私のさすらいを記しておられます。どうか私の涙を あなたの皮袋に蓄えてください。それとも あなたの書に記されていないのですか。(詩篇56:8)
このダビデの問いに対する答えが、黙示録21章4節です。神はダビデの涙も、私たちの涙も覚えておられることが、黙示録の約束でわかります。「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる」と約束されているためです。私たちの涙がすべて(「ことごとく」)ぬぐい去られるということは、神は私たちの涙をすべて覚えておられるということです。
この世界で起こる悲劇を前にして、「神がおられるなら、なぜこのような悲惨なことが起こるのか」と思うことがあります。しかし、それは地上で起こることしか見ていないためです。永遠という視点で見れば、すべての悪がさばかれ、地上で苦しみを受けた人には神の慰めがあるのです。「【主】はご自分のすべての道において正しく、そのすべてのみわざにおいて恵み深い方」(詩篇145:17)と言われているとおりです。これを裏返して考えると、神の義が実現されるには、死後のさばきが必ず必要になるということになります。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)というみことばは、これを担保するものです。
そして、新天新地には死も存在しません。先ほど見たように、新天新地には罪が存在しないためです。ローマ人への手紙では次のように言われています。
12 こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった(ローマ5:12)
「一人の人」というのは、アダムのことです。死は、アダムが罪を犯したために世界に入ってきたものです。つまり、最初の世界には、死がなかったのです。しかし、「罪の報酬は死です」(ローマ6:23)と言われているように、この世界に罪が入ってきて、人が罪を犯すようになったので、人は死ぬようになったのです。逆に考えると、罪がなければ、死もないということになります。そのため、罪のない新天新地では、死は存在しないのです。
死もなく、悲しみもなく、苦しみもない世界というのは、今の世界に生きている私たちには想像すらできないかもしれません。しかし、聖書は次のように語っています。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである」(1コリント2:9、新改訳第三版)
> 結論結論
天国の最終形態である新天新地では、被造物が本来の姿に戻ることが約束されています。人間の罪と罪の影響が取り除かれ、神が意図された状態に被造世界が回復するのです。
次回は、天国に入るための条件を見ていきます。
> 参考資料参考資料
- アーノルド・フルクテンバウム博士(通訳:中川健一)『聖書が教える死後の世界 ― 個人的終末論 ―』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2012年)
- Alan W. Gomes, 40 Questions About Heaven And Hell (Kregel, 2018)
- David Jeremiah, Revealing the Mysteries of Heaven (Turning Point, 2017)
- Randy Alcorn, Heaven (Wheaton, IL: Tyndale House Publishers, 2004)
> 脚注脚注
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シャカイナ・グローリー(Shekinah Glory)とは、神の臨在に伴う光、雲、火などの現象を指します。ヘブライ語の「シャカン(共に住む)」と英語の「グローリー(栄光)」に由来する言葉です。 ↩

