聖書が語る「死後の世界」(10)地獄はどういう場所か

空

はじめに

「聖書が語る死後の世界」というテーマで、これまでは主に天国について語ってきました。天国について語ったなら、次は地獄についても語る必要があります。聖書は両方の存在を教えているためです。

地獄は難しいテーマです。とは言っても、聖書的な理解が難しいというわけではありません。地獄に関する聖書の教えは、比較的明快です。聖書的な理解というよりも、心の痛みを伴うテーマなので、語るのが難しいのです。C・S・ルイス(1898年~1963年)も同様の思いを抱いていたようで、次のように語っています。

C・S・ルイス
クライブ・ステープルス・ルイス(Clive Staples Lewis, 1898年~1963年)― ケンブリッジ大学英文学教授、キリスト教弁証家。小説『ナルニア国ものがたり』の著者。

もし私に権限があるのであれば、地獄の教理ほどキリスト教から取り除きたいと思う教理はない。しかし、この教理は聖書、とりわけ主ご自身の言葉によって全面的に裏付けられており、キリスト教会でいつの時代にも支持されてきたもので、理にもかなっているのである。1



“There is no doctrine which I would more willingly remove from Christianity than the doctrine of hell, if it lay in my power. But it has the full support of Scripture and, especially, of our Lord’s own words; it has always been held by the Christian Church, and it has the support of reason.”

地獄は語るのが難しいテーマですが、語らないわけにはいきません。C・S・ルイスも言うように、聖書、特にイエス・キリストが明確にその存在を教えているためです。

ただ、地獄について語る前に、まずは地獄とはどういう場所かを明らかにしておく必要があります。

日本人が抱く地獄のイメージ

みなさんは、地獄と聞くとどういうイメージを思い浮かべるでしょうか。

「うそをつくと閻魔様に舌を抜かれるよ」と親に言われたことはないでしょうか?筆者はよく言われていたので、地獄は怖い閻魔大王に裁かれる場所、というイメージがずっとありました。

また、仏教の「地獄絵図」などの影響で、次のようなイメージを持っている人もおられると思います。

  • 鬼が金棒で罪人を責める。
  • 針の山を歩かされる。
  • 血の池地獄に落ちる。

こういうイメージを持っていると、聖書の「地獄」という言葉も同じように受け取ってしまう可能性があります。しかし、聖書が語る地獄は、仏教で言うところの「地獄」とは違います。

聖書が言う「地獄」

キリスト教でも、「地獄」とは広い意味で「人が死後に苦しみを受ける場所」ですので、日本人がイメージする地獄と重なります。ただ、具体的な内容は違います。

聖書には、地獄を指す言葉がいくつかあり、以下に示すように少しずつ意味が違います。

旧約聖書の用語

  • 「よみ(シェオール)」:死者の魂が行く場所。義人も悪人もよみに行く。ただ、よみの中でも、義人が行くセクションと悪人が行くセクションは別になっている(ルカ16:19~31)。

新約聖書の用語

  • 「よみ(ハデス)」:死者の魂が行く場所。よみと同じ。最終的なさばきが行われるまで死者が留め置かれる場所。
  • 「ゲヘナ」:最終的なさばきが行われた後に開かれる永遠の刑罰の場所。

MEMO
ハデスとゲヘナの違いの詳細については、「付録:新約聖書で地獄を指す用語」を参照してください。

この記事では、「地獄」という言葉を「ゲヘナ」を意味する言葉として使っています。

ゲヘナの由来
ゲヘナは、ヘブル語の「ゲイ・ヒンノム」に由来し、元々はエルサレムの南にある「ヒンノムの谷」を指す言葉でした。ヒンノムの谷は、古代には偶像神に子どものいけにえをささげる忌まわしい儀式が行われた場所でした。そのため、「ゲヘナ」という言葉は、さばきの場所、最終的な刑罰の場所を指す言葉として使われるようになりました。

以下に、地獄とはどういう場所かを見ていきます。

この記事の内容

聖書が語る地獄には、以下の3つの特徴があります。

  1. 神から切り離された場所
  2. 罪に対する刑罰を受ける場所
  3. サタンと悪霊のために用意された場所

この3つを見ていくことで、聖書が言う地獄がどういう場所かがわかってきます。

以下に、それぞれを見ていきましょう。

1. 神から切り離された場所

第一に、地獄は神から切り離された場所です。

厳密に言うと、神はどこにでもおられる遍在の方なので、地獄にもおられます。ただ、地獄は神を拒絶した人々が行く場所なので、神の祝福や神の恵みから切り離された場所になっています。

聖書には、次のような記述があります。

8 主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。 9 そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。(2テサロニケ1:8~9)

ここでは、神や福音を信じない人々を「主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられる」と言われています。つまり、地獄とは、神の御前から遠ざけられた人々が行く場所です。そのため、神から切り離され、神の祝福や恵みがない場所になっているのです。

MEMO
なぜ福音を信じる道が天国への唯一の道なのかについては「聖書が語る「死後の世界」(8)天国に続くただ一つの道」を参照してください。

すべての良いものは神から来る

聖書では、すべての良いものは神から来ると言われています。

すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。…(ヤコブ1:17)

「すべての良い贈り物」とは、神が下さるすべての祝福です。太陽の光も、美しい自然も、おいしい食べ物も、喜びも、すべて神からの贈り物です。聖書の神は、万物の創造主だからです。こうした神からの贈り物は、地上では義人にも悪人にも与えられています。どんな悪人でも、自然を楽しんだり、おいしい食べ物を楽しんだりすることができるのは、そのためです。

地獄には神からの祝福がない

しかし、地獄では事情が違います。地獄は、神から切り離されているので、神から与えられる祝福もありません。先ほど挙げたような祝福が何もない場所が、地獄なのです。

地上では、どんな悪人でも受けることができた神の祝福が、地獄では受けることができません。すべてを与えてくださる神から切り離されているためです。そのため、地獄には、地上では当たり前のようにあった光もありません。地獄が「外の暗闇」(マタイ8:12など)と呼ばれているのはそのためです。

2. 罪に対する刑罰を受ける場所

第二に、地獄は罪に対する刑罰を受ける場所です。

罪とは、神に背き、神のみこころから外れることです。また、「悪い行い」だけではなく、神を神として認めず、自己中心に生きることも含まれます。地獄とは、このような罪に対する刑罰を受ける場所です。

たとえば、ヨハネの黙示録には次のようなことばがあります。

しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。(黙示録21:8)

前半は、罪のリストです。最初の「臆病な者」とは、恐れて信仰を否む者という意味合いです。それ以降に、神が「罪」と呼ばれるものが列挙されています。こうした罪を犯す者が「火と硫黄の燃える池」と呼ばれる地獄(ゲヘナ)に入るということばです。

MEMO
罪について詳しくは、「聖書の語る『罪』とは?」を参照してください。

どのような刑罰を受けるのか

聖書は、地獄について次のような表現を用いています。

  • 永遠の火(マタイ25:41)
  • 消えない火(マルコ9:43)
  • 火の池(黙示録20:14~15)
  • 外の暗闇(マタイ8:12)
  • 泣いて歯ぎしりする場所(マタイ13:42)
  • うじ虫が尽きず、火も消えない場所(マルコ9:48)

これらの表現は、地獄が耐えがたい苦しみと、逃れることのできない神のさばきの場所であることを示しています。

イエスは次のように語られました。

もし、あなたの手があなたをつまずかせるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろっていて、ゲヘナに、その消えない火の中に落ちるより、片手でいのちに入るほうがよいのです。(マルコ9:43)

「手があなたをつまずかせる」とは、手が罪を犯す手段となり、あなたを罪へと導くという意味です。「それを切り捨てなさい」とはもちろん誇張表現ですが、イエスはそれだけ罪が重大なものであることを教えています。また、地獄(ゲヘナ)に落ちることがどれほど悲惨なことかも教えています。

永遠の火とは

「永遠の火」「消えない火」「火の池」など、地獄を表現するのに「火」という言葉が使われています。この「火」が、文字どおりの意味なのか、比ゆ的な意味なのかについて、古くから議論があります。比ゆ的に解釈する場合は、生前の人生を振り返って、激しい後悔の念や良心の呵責にさいなまれるという意味になります。

たとえば、17世紀のピューリタン説教者、ジョン・フラベルは、地獄でさいなむ良心の呵責について次のように語っています。

この地上で罪人を抑制する「手綱」となるべき良心は、地獄では罪人の魂を打ちすえる「鞭」となる。かつてはすべての罪責感を引き起こす源、中心であったものが、今やすべての責め苦を引き起こす源、中心となるのである。

Conscience which should have been the sinner’s curb here on earth becomes the sinner’s whip that will lash his soul in hell. That which was the seat and center of all guilt now becomes the seat and center of all torment. – John Flavel (https://www.christianquotes.info/quotes-by-topic/quotes-about-hell/)

地獄では、人に与えられている良心が、自分がしたすべての罪を責める「鞭」となり、過去を悔やむ後悔の念を永遠に与え続けるという言葉です。

これは一つの考え方ですが、文字どおりの火としてとらえる考え方も有力です。今、人は死ぬと魂となりますが、最後のさばきを受ける前に、復活すると言われているためです。イエスはこう語っています。

28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。29  そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。(ヨハネ5:28~29)

ここでは、善を行った者も悪を行った者も復活すると言われています。そのため、地獄へ行く者も肉体を持っていることになります。そうなると、肉体で受ける苦しみは文字どおりの火であるという考え方が自然な読み方であるように思います。

いずれにせよ、文字どおりの火と解釈しても、比ゆ的に解釈しても、いわゆる「地獄の苦しみ」となることに変わりはありません。

地獄の苦しみがどのようなものかは、19世紀英国の牧師・説教者J・C・ライルが語ったように、全貌を知ることはできないのかもしれません。

地獄の全貌 ― 現在の苦しみ、過去に対する苦い記憶、未来に対する絶望的な見通し ― は、実際にそこへ行く者以外、すべてを知ることは決してできない。

The whole extent of hell, the present suffering, the bitter recollection of the past, the hopeless prospect of the future, will never be thoroughly known except by those who go there. – J. C. Ryle (https://www.christianquotes.info/quotes-by-topic/quotes-about-hell/)

刑罰には軽重がある

地獄では罪に対する刑罰を受けますが、すべての人が同じ苦しみを受けるわけではありません。聖書では、次のように言われているためです。

主人の思いを知りながら用意もせず、その思いどおりに働きもしなかったしもべは、むちでひどく打たれます。 しかし、主人の思いを知らずにいて、むち打たれるに値することをしたしもべは、少ししか打たれません。多く与えられた者はみな、多くを求められ、多く任された者は、さらに多くを要求されます。(ルカ12:47~48)

この聖句を読むと、地獄での刑罰は与えられている知識や機会の量によって変わることがわかります。たとえば、人口の99%がイスラム教徒の国で生まれ、聖書を配布することも所有することも禁じられているような環境で生きてきた人と、キリスト教の伝統がある米国などの国で牧師家庭に生まれて福音を何度も聞きながらキリストを拒み続けた人とでは、神の前で問われる責任の重さが違います。

MEMO
よく「福音を一度も聞く機会がなかった人はどうなるのか」という質問を聞きます。この場合も、その人が与えられていた知識や機会の量に従ってさばかれます。

聖書では、すべての人に自然や良心を通して神がおられることが啓示されていると言われています(ローマ1:19~21、ローマ2:14~15)。これを「一般啓示」と呼びます。この一般啓示に応答して神を求める人は、「特別啓示」と呼ばれる聖書や福音に導かれます。この一つの例が、近年イランなどの厳格なイスラム教国で起きている現象です。こうした国では、夢や幻でイエスを見た結果、福音を語る宣教師やクリスチャンに導かれるという現象がよく見られます。詳しくは、YouTube動画「聖書が預言する中東と世界の未来 ― イスラエル・イラン紛争の後、世界はどこへ向かっていくのか」をご覧ください。

また、次の聖句にあるように、人は最後の審判で、生前の行いによってもさばかれます。

また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。(黙示録20:12)

人は、「数々の書物」に記録された行いに従って、さばかれます。聖書で次のように言われているとおりです。

神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。(伝道者の書12:14)

3. サタンと悪霊のために用意された場所

第三に、地獄は元々サタンと悪霊のために用意された場所です。

マタイの福音書25章に記されている「羊とやぎのさばき」(マタイ25:31~46)では、神に従わなかった「やぎ」の人々に、イエスは「わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ」(マタイ25:41)と告げています。先述のとおり、「永遠の火」とは地獄のことです。

この聖句からわかることは、地獄は、もともと人間のために用意された場所ではないということです。サタンと悪霊に対する刑罰の場所として用意されたものだからです。

MEMO
地獄はサタンとその使いのために用意されたものですが、サタンが今地獄にいるわけではありません。サタンが地獄に投げ入れられるのは、将来の時点です(黙示録20:10)。また、サタンが地獄で悪霊の軍勢と一緒に宴会を開いているといった漫画的なイメージは、まったく聖書的ではありません。地獄に投げ入れられたサタンと悪霊は、地獄にいる人々を苦しめる側ではなく、地獄で苦しみを受ける側になります。

サタンに従う人も行き着く場所

マタイ25:41の記述からもう一つわかることは、サタンと同じく神の主権を拒み続ける人々も、サタンや悪霊と同じ運命をたどるということです。イエスは、神の律法を曲げ、ご自分をメシア(救い主)として受け入れなかった律法学者とパリサイ人に対し、次のように語っています。

蛇よ、まむしの子孫よ。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。(マタイ23:33)

「蛇」とはサタンの別称です(黙示録12:9)。「まむしの子孫」とは、サタンに従う人々のことです。別の機会にも、イエスは同様の人々に対し「あなたがたは、悪魔である父から出た者」(ヨハネ8:44)と語っています。つまり、地獄(ゲヘナ)は、神に反逆したサタンと同じ道をたどる人が行き着く場所でもあるということです。

結論

聖書から、地獄は(1)神から切り離された場所、(2)罪に対する刑罰を受ける場所、(3)サタンと悪霊のために用意された場所であることを明らかにしました。

まとめると、地獄は神がさばきを行うための場所として用意されている、と言うことができます。

地獄に関する聖句を見ていくと心が沈みますが、聖書は同時に希望も語っています。イエス・キリストにある救いです。

イエス・キリストにある救い

先ほど見たように、もともと地獄が用意されたのは、人間ではなく、サタンと悪霊のためでした。神は、そのような地獄に人々が行くことを望んではおられません。聖書はこう語っています。

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。(1テモテ2:4)

この「真理」とは何でしょうか。イエスは次のように語っています。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。(ヨハネ14:6)

神が知ることを求めておられる「真理」とは、イエス・キリストのことです。ここで言う「父のみもと」とは、神がおられる天国のことです。イエス・キリストが、天国へと続く道なのです。

イエス・キリストを知るとは、イエス・キリストが救い主であると信じることです。新約聖書のヨハネの福音書3章16節では、次のように言われています。

16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3:16~17)

ここでいう「滅びる」とは、地獄に行くことです。神は、一人として地獄で滅びることなく、すべての人が救われるために、イエス・キリストを世に遣わしてくださったのです。イエスが十字架上ですべての罪に対する刑罰を受けて死んでくださったことで、今ではすべての罪が赦される道が開かれています。この道に進むには、ヨハネ3章16節が言うように「御子(イエス・キリスト)を信じる」必要があります。このことを伝えるのが、「福音」です。みなさんも福音を信じ、ぜひ罪の赦しと救いを受け取ってください。心からお祈りいたします。

MEMO
福音については、「聖書が語る『福音』とは?」をご覧ください。

付録:新約聖書で地獄を指す用語

新約聖書では、地獄を指す用語として「ゲヘナ」と「ハデス」があります。

ただ、両者は具体的には別のものを指すので、区別しておく必要があります。2つの用語には、以下のような違いがあります。

ハデス ゲヘナ
言葉の意味 見えない死者の世界(ヘブル語「シェオール」に相当) ヘブル語「ゲイ・ヒンノム」(ヒンノムの谷)に由来する。
聖書での意味 死後に人が下る場所。旧約時代は義人も悪人も一時的に行く場所だった。一般に「よみ」と訳される。新約時代の義人はパラダイス(天国)に行く 最終的な刑罰と滅びの場所である「火の池」のこと。
イエスの言及 4回(マタイ11:23、ルカ10:15、マタイ16:18、ルカ16:23) 11回(マタイ7回、マルコ3回、ルカ1回)
特徴 最後のさばきの日まで死者が留め置かれる中間状態の場所。 最後のさばきで罪を宣告された者が投げ込まれる苦しみの場所
義人と悪人の区別 旧約時代は義人(アブラハムの懐)と罪人(苦しみの場所)が区別される(ルカ16:19~31)。新約時代は罪人のみが行く 義人は行かず、罪人のみが投げ込まれる
時間的性質 一時的。最終的にゲヘナに投げ込まれる 永遠(マタイ25:41「永遠の火」、マタイ25:46「永遠の刑罰」)

参考資料

脚注

  1. C.S. Lewis, The Problem of Pain (Macmillan, 1962), p.118

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