聖書が語る「死後の世界」(4)天国はどのような場所か(前編)

空

前回の記事では、聖書が言う天国(パラダイス)は時代によって移り変わり、以下の3つの場所が記されていることを明らかにしました。

  1. 過去:アブラハムのふところ(よみ)
  2. 現在:天(第三の天)
  3. 将来:新天新地と新しいエルサレム

今回は、天国(パラダイス)が実際にどういう場所であると聖書に記されているか、現在と将来のパラダイスに焦点を当てて見ていきます。

天国は退屈な場所?

一般に、天国は何もない退屈な場所というイメージがあるようです。アイルランドの劇作家で無神論者のジョージ・バーナード・ショーは、次のように語っています。

一般に考えられている天国とは、あまりにも無味乾燥で退屈な、役に立たないみじめな場所である。そのため、天国で丸一日をどう過ごすのかを描写しようとする人は今まで誰もいなかった。だが、海辺での一日を描写したことがある人は大勢いるのだ。1

Irish playwright George Bernard Shaw, who observed, “Heaven, as conventionally conceived, is a place so inane, so dull, so useless, so miserable, that nobody has ever ventured to describe a whole day in heaven, though plenty of people have described a day at the seashore.”

天国での1日は、海辺で1日を過ごすよりも退屈だという皮肉です。また、米国の科学者でSF作家でもあるアイザック・アシモフは、地獄と天国について次のように語っています。

私は来世を信じていない。そのため、地獄を恐れて一生を過ごす必要もない。むしろ、それ以上に天国を恐れている。地獄の拷問がどのようなものであれ、天国の退屈さの方がもっと恐ろしいと思える。2

“I don’t believe in the afterlife, so I don’t have to spend my whole life fearing hell, or fearing heaven even more. For whatever the tortures of hell, I think the boredom of heaven would be even worse.”

アシモフも、無神論者です。天国が退屈な場所だというのは、神を信じない人の共通認識なのかもしれません。ただ、来世を信じていないと言っているのに、天国の退屈を恐れているというのは大いなる矛盾です。筆者には、神を信じない自分の生き方を正当化するために、天国を魅力的でないものとして描写し、地獄の方がましだと思い込むことで自分を欺いているようにしか思えません。天国と地獄のどちらも、生きている人は体験的に知ることができない世界です。そのため、天国と地獄について体験的に知らない人間は、結局は自分の希望的観測を述べているに過ぎないのです。

こうした天国に関する見方に対し、聖書の天国に関する記述を研究し、『Heaven(天国)』というミリオンセラーを執筆した牧師、ランディ・アルコーンは次のように語っています。

 「天国は退屈だ」という思いは、「神は退屈だ」という異端的な思想をさらけ出している。これほど馬鹿げた考え方はない。喜びを求める思いと楽しいと感じる体験は、神の御手から直接与えられたものである。味覚も、アドレナリンも、性欲も、快楽を脳に伝える末端神経も神が造られたものである。同じように、想像力や、喜びと感動を味わう能力も、私たちが「退屈だ」と批判する神ご自身によって造られたものだ。人はあまりにも傲慢なので、人間が自分で「楽しむ」という概念を発明したとでも思っているのだろうか? 私たちがほかの人を見て「すばらしい」と感じるあらゆる性質は、すべて神に当てはまる。神こそが、「魅力的」と感じるすべての源なのである。

 バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトを造られたのは誰か? こうした人々に才能を与えたのは誰か?音楽そのもの、また音楽を奏でる能力を造ったのは誰か? 人間のすばらしさと魅力はすべて創造主から来ている。退屈なのは神ではなく、私たちの方だ。機知も、ユーモアも、笑いも、私たちが発明したものではない。このすべてを造られたのは神である。神のユーモアセンスや遊び心を知り尽くすことはいつまで経ってもできない。

 本当に問うべきは、「どうして神は、私たちに退屈しておられないのだろう?」ということなのである。3

Our belief that Heaven will be boring betrays a heresy—that God is boring. There’s no greater nonsense. Our desire for pleasure and the experience of joy come directly from God’s hand. He made our taste buds, adrenaline, sex drives, and the nerve endings that convey pleasure to our brains. Likewise, our imaginations and our capacity for joy and exhilaration were made by the very God we accuse of being boring. Are we so arrogant as to imagine that human beings came up with the idea of having fun? The very qualities we admire in others—every one of them—are true of God. He’s the source of everything we find fascinating. Who made Bach, Beethoven, and Mozart? Who gave them their gifts? Who created music itself and the ability to perform it? All that is admirable and fascinating in human beings comes from their Creator. It’s not God who’s boring; it’s us. Did we invent wit and humor and laughter? No, God did. We’ll never begin to exhaust God’s sense of humor and His love for adventure. The real question is this: “How could God not be bored with us?”

聖書が教える神は、天地創造の神です。どこまでも続く広大な宇宙を創造し、緑豊かな美しい地球を造り、数え切れないほどの種類の生物を造られた神がおられるならば、神が用意された天国が退屈な場所であるわけがありません。そして、聖書はそのような天地創造の神の存在を、最初から最後まで宣べ伝えているのです。

ただ、聖書の天国に関する記述は限定的です。それでも、神が天国をどのような場所として用意しておられるかはわかるようになっています。そこで、今回の記事では、聖書に記されている天国にあるもの7つを取り上げて、天国はどのような場所として描かれているかを見ていきましょう。

MEMO
今回と次回の記事では天国に「あるもの」を取り上げ、その後に天国に「ないもの」を取り上げて、天国がどのような場所かを多面的に探っていきます。

1. 神の王座

天国の第一の特徴は、神の王座があることです。たとえば、詩篇では次のように言われています。

4 【主】はその聖なる宮におられる。【主】はその王座が天にある。その目は見通し そのまぶたは人の子らを調べる。(詩篇11:4)

神の王座があるということは、天は神が支配し、神の臨在が常にある場所だということです。神は遍在の方なので、宇宙のどこにでもおられます。しかし、神の臨在が常にある場所は、天です。この点を理解することが、天国という場所を理解するための鍵となります。

天国は神の御顔を仰ぎ見る場所

聖書では、天国は人が神と顔と顔を合わせて会う場所であると言われています。聖書の最後の書、ヨハネの黙示録では次のように記されています。

3 もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、 4 御顔を仰ぎ見る。…(黙示録22:3~4)

ここでは、人は天国で神の御顔を見るとはっきり言われています。このことは、旧約聖書を知っている者にとっては驚くべきことです。神の御顔を見ることは、イスラエルの民を導いて、分かれた海を渡ったモーセにさえ許されなかったことだからです。旧約聖書の出エジプト記には、モーセと神(【主】)の次のようなやり取りが記されています。

18 モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」 19 主は言われた。… 20 「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」 

21 また【主】は言われた。「見よ、わたしの傍らに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。 22 わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れる。わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておく。 23 わたしが手をのけると、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は決して見られない」(出エジプト33:18~23)

天国で私たちは、モーセでさえ見ることがかなわなかった神の御顔を仰ぎ見ることになります。神は、ご自分を見た者は死ぬとおっしゃいました。しかし、天国では、神の御顔を仰ぎ見て、死ぬどころか、永遠に神と共に生きることになると言われているのです。

新約聖書でも、神について次のように言われています。

16 死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方。(1テモテ6:16)

ここでは神は「人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方」とあります。しかし、天国では、人は神の御顔を見ることになります。

天国は神をありのままに知る場所

神の御顔を見るということは、神をありのままに知るということでもあります。聖書で次のように言われているためです。

12  今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。(1コリント13:12)

地上では、私たちは多かれ少なかれ神に対する誤ったイメージを抱いて生きています。たとえば、自分は神に愛されていないと信じて生きている人がたくさんいます。それは「鏡にぼんやり映るもの」しか見ていないためです。

一方、私たちは神に「完全に知られて」います。神は、私たちのうちにある汚れた思いや罪にもかかわらず、私たちを愛してくださっています。「神は愛」(1ヨハネ4:8、16)であるためです。神が人を愛するのは、人に愛される資格があるとか、愛すべき点があるからではありません。「神=愛」なので、神が人を愛するのは、神のご性質から来るものなのです。それと同じように、私たちも神をありのままに知るようになります。そして、神の愛を一点の曇りもなくはっきりと知るようになるのです。

天国は創造主と出会う場所

天は、人が創造主と会う場所でもあります。死後、あなたは「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)と言われている方とお会いすることになるのです。

神は天地の創造主であると同時に、あなたの創造主でもあります。イスラエルのダビデ王は、神について次のように語っています。

13 あなたこそ 私の内臓を造り

母の胎の内で私を組み立てられた方です。

16 あなたの目は胎児の私を見られ

あなたの書物にすべてが記されました。

私のために作られた日々が

しかも その一日もないうちに。(詩篇139:13、16)

神は、あなたを造られた方です。そして、あなたのすべてを知っておられる方でもあります。あなたの喜びも、苦しみも、あなたの隠れた善行も、人には言えないような罪も、すべて知っておられる方です。この方と、死後にお会いすることになるのです。

天国は神の聖さが満ちている場所

神は聖なる神です。旧約聖書のイザヤ書では、神の御使いたちが次のように語っています。

3  互いにこう呼び交わしていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の【主】。その栄光は全地に満ちる。」(イザヤ6:3)

旧約聖書が書かれたヘブル語では、「聖なる、聖なる、聖なる」のように言葉を3つつなげるのは最上級の表現です。そのため、神の聖さは完全であることを表現しています。また、聖書では次のようにも言われています。

5 私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。(1ヨハネ1:5)

「神には闇が全くない」とは、神にはただ一つの罪も悪もないということです。

このような神の聖さが満ちている場所が、天国です。そのため、天国では1つの罪もありません。よこしまな思いを持つ人も、罪を隠し持つ人もいません。神の聖さが満ちているためです。

また、天国は神の正義が完全に行われる場所でもあります。聖書で「義と公正は あなたの王座の基」(詩篇89:14)と言われているように、神の王座がある天国は、義と公正の上に成り立っているためです。そのため、不正に苦しむ者や、虐げられている人も天国にいません。神の義が完全に行われるためです。

天国は喜びの場所

天国は、永遠の喜びに満ちている場所でもあります。イスラエルのダビデ王は聖書で次のように語っています。

11 あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びがあなたの御前にあり、楽しみがあなたの右にとこしえにあります。(詩篇16:11)

神がおられる場所にはとこしえに続く喜びがあります。これは、神がすべての喜びの創造主でもあるためでもあります。

2. 永遠の故郷

天国は、すべての人が心の奥底で慕い求めている「故郷」でもあります。聖書の最初の書、創世記では、はじめの人、アダムはエデンの園に住み、神と共に暮らしていたと記されています。天国は、神と人が一緒に暮らしていたエデンの園の回復でもあるのです。聖書は、創世記に登場するアベルやノア、アブラハムといった神の信仰者について、次のように語っています。

13 これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。 14 そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。 

15 もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。 16 しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。(ヘブル11:13~16)

旧約聖書の時代の信仰者は、天の故郷を慕い求め、地上を寄留者として生きました。新約時代の使徒パウロも、同様に「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3:20)と語っています。

永遠の故郷を求める心

新約聖書学者のスコット・マクナイトは、人のうちにある天国を慕い求める心について、次のように語っています。

人の愛、家族、美、仕事といった自分が求めているものを手にしても、どうしても満たされない感覚がいつも残るのは、すべての欲求が最終的に満たされる真の故郷が存在することを示している。この故郷こそが、天国である。言い換えると、この世で味わう充足感が束の間のものであるのは、最終的に永続する充足感を得られる場所が存在することを指し示している。4

“I believe that the ongoing lack of fulfillment in possessing what we desire—the love of another, family, beauty, work—indicates there is a true home that will ultimately satisfy all our desires fully—and that home is heaven. In other words, the fleeting satisfactions of this world point beyond us toward a place of final and lasting fulfillment.”

人は存在していないものを求めることはありません。たとえば、50年前の子どもは「スマホが欲しい」とは言わなかったでしょう。スマートフォンは当時存在していなかったからです。しかし、なぜ人はいつの時代も天国(パラダイス)を夢見るのでしょうか。東洋の「桃源郷」や西洋の「ユートピア」は、理想の世界を求めた人が描いたパラダイスです。このような理想世界を夢想するのは、人がパラダイスの存在を心のどこかで固く信じているためではないでしょうか。そして、人が慕い求める本当の「故郷」が実際に存在すると聖書は語っているのです。(中編に続く)

参考資料

  • アーノルド・フルクテンバウム博士(通訳:中川健一)『聖書が教える死後の世界 ― 個人的終末論 ―』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2012年)
  • Alan W. Gomes, 40 Questions About Heaven And Hell (Kregel, 2018)
  • David Jeremiah, Revealing the Mysteries of Heaven (Turning Point, 2017)
  • Randy Alcorn, Heaven (Wheaton, IL: Tyndale House Publishers, 2004)

脚注

  1. Randy Alcorn, 50 Days of Heaven: Reflections to Bring Eternity to Light (Tyndale Momentum, 2006) Kindle版

  2. Joey Green, Philosophy on the Go (Philadelphia: Running Press Book Publishers, 2007), 222.

  3. Randy Alcorn, Heaven (Wheaton, IL: Tyndale House Publishers, 2004), 184, 394-395.

  4. Lee Strobel, The Case for Heaven (Zondervan, 2021) Kindle版

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