> はじめにはじめに
これまで、聖書が語る天国とはどのような場所かを見てきました。では、その天国に入ることができるのは、いったいどのような人なのでしょうか。
誰が天国に入ることができるか
一般的に、善人は天国へ、悪人は地獄へ行くと考えられています。しかし、善人と悪人を分ける基準は曖昧です。どこまで悪いことをすれば「悪人」となるのか、どこまで良いことをすれば「善人」と言えるのか、その線引きは簡単ではありません。
一方、聖書の基準は明快です。聖書によれば、天国に入るための条件はただ一つ、「子羊のいのちの書」に名前が記されているかどうかです。
しかし、すべての汚れたもの、また忌まわしいことや偽りを行う者は、決して都に入れない。入ることができるのは、子羊のいのちの書に記されている者たちだけである。(黙示録21:27)
ここで言う「都」とは「新しいエルサレム」、つまり天国のことです(参照記事「聖書が語る『死後の世界』(3)天国はどこにあるのか」)「子羊」とはイエス・キリストのことです(ヨハネ1:29)。そのため「子羊のいのちの書」とは、直訳すれば「イエス・キリストのいのちの書」ということになります。つまり、「子羊のいのちの書」とは、キリストによって永遠のいのちを与えられ、天国に入ることのできる人々の名が記された書物だということになります。
> 子羊のいのちの書に名が記されている人子羊のいのちの書に名が記されている人
子羊のいのちの書に名が記された人が天国に入ることを見ました。では、どうすればこの書に名が記されるのでしょうか。聖書は、次のことを教えています。
イエスを信じる
先に述べたように、子羊のいのちの書に名が記されるとは、イエス・キリストによって永遠のいのちを与えられることです。では、どうすれば永遠のいのちを受けることができるのでしょうか。次の聖句がその答えを明確に示しています。
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)
ここでは、御子イエス・キリストが与えられたのは「御子を信じる者が…永遠のいのちを持つため」であると語られています。つまり、永遠のいのちを受ける方法は、イエス・キリストを信じることです。なお、聖書では永遠のいのちを受けることを「救われる」とも表現します。
まとめると、子羊のいのちの書とは、イエス・キリストを信じて救われた人々の名簿だということになります。
世の初めから名が記されている
ここで「子羊のいのちの書」に関するもう一つの聖句に触れておかなければなりません。先ほど引用した黙示録21章のほかに、この書について言及している興味深い箇所がもう一つあります。
8 地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書にその名が書き記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。(黙示録13:8)
この箇所は、子羊のいのちの書に名が書き記されていない者はみな、世の終わりの大患難時代と呼ばれる時代に「獣」と呼ばれる反キリスト(サタンの化身)を拝むようになると教えています。この箇所からわかるもう一つのことは、世界が創造された時から、子羊のいのちの書には救われる人の名前が記されているということです。
これはどういうことでしょうか。神は世界が創造される前、永遠の昔からおられる方です。時間は、神が世界を創造された時に始まったものです。つまり、神は時間の外におられる方であり、神にとっては過去も未来も現在も同じだということです。そのため、誰が救われるかを神はすでに知っておられます。
この点を踏まえて、あなたにお伝えしたいことがあります。この記事をあなたが読んでいることは、決して偶然ではありません。神はすでにあなたに働きかけておられ、この記事を通してあなたに語りかけておられるのかもしれません。そのため、ご自分の名もすでに子羊のいのちの書に名が記されているかもしれないという思いを頭のどこかに置きながら、読み進めてください。子羊のいのちの書に名が記されている人は、いつの日かイエス・キリストを信じて救われます。
> なぜイエスが天国に続く唯一の道なのかなぜイエスが天国に続く唯一の道なのか
子羊のいのちの書に記されている人だけが天国に行くのであれば、イエス・キリストを信じていなければ天国に入れないことになります。そして実際に、イエスはご自分が天国に続く唯一の道であると宣言しています。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。(ヨハネ14:6)
「父のみもと」とは、父なる神がおられる天国のことです。ここで、イエスはご自分を通してでなければ天国へは行くことができないと明言しています。また、別の箇所でも次のように語っています。
9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。(ヨハネ10:9)
ここでも同様に、イエスを通って入る者だけが救われる、すなわち天国に入ることができると言われています。
反論
このように「イエスを信じなければ天国に行けない」と言うと、キリスト教は傲慢だ、非寛容だと批判されることがあります。こうした反応を示すのは何も日本人だけではありません。アメリカで絶大な人気を誇るトークショーの司会者、オプラ・ウィンフリーも、次のように語っています。
人間が犯す最大の間違いの一つは、道はひとつしかないと信じることです。神と呼ばれるものへと続く道はたくさんあって、多様なのです。
“One of the biggest mistakes humans make is to believe there is only one way. There are many diverse paths leading to what you call God.” — Oprah Winfrey
これは現代における平均的な感覚と言えるでしょう。しかし、イエスが天国に至る唯一の道であると語っているのは、キリスト教徒ではなく、イエスご自身です。私たちは、この世の平均的な感覚を正しいとするのか、それともイエスの言葉を正しいとするのか、一人ひとりが判断する必要があります。
なお、自分が説く道を真理とし、結果的に他の主張を否定しているのはイエスだけではありません。イスラム教の聖典クルアーン(コーラン)でも「イスラーム以外の教えを追求する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である」(クルアーン3:85、三田了一訳)と語られています。またブッダも「天上天下唯我独尊」、すなわち「世界の中で私のみが唯一尊い存在である」と語ったと伝えられています。神道はさまざまな神を受け入れる多神教なので寛容な宗教と言われることがありますが、「八百万の神」の存在を説く神道は、「神は唯一である」と主張する一神教を真っ向から否定しています。その意味では、神道は必ずしも寛容とは言えません。
このように、いずれの宗教もみずからの教えこそが真理であると主張している点では変わりがありません。問題は、はたして誰が真理を語っているのか、ということです。
イエスが他の宗教の創始者と決定的に異なるのは、真理を主張するだけでなく、その主張を裏付ける証拠を残している点です。次に、イエスが主張した真理とその証拠を見ていきましょう。
主張1:イエスはメシア(救い主)である
イエスは、ご自分が人類の救い主であるメシア(ギリシア語でキリスト)であると主張されました。そして聖書は、その主張を裏付ける証拠も記録しています。
聖書箇所
イエスはご自分が、旧約聖書で約束されていたメシアであると語っています。たとえば、サマリヤの女との会話の中で、イエスは次のように明言しています。
25 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです」(ヨハネ4:25~26)
また、使徒ペテロもイエス・キリストのみが救い主であることを次のように証言しています。
12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)
証拠:メシア預言の成就
イエスがメシアであることの証拠の一つは、旧約聖書に記されたメシア預言の成就です。イエス自身も、旧約聖書によってご自分がメシアであることが証明されるとして、次のように語っています。
25 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。 26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」
27 それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。(ルカ24:25~27)
ここで言う「聖書」とは、この時点ではまだ新約聖書が書かれていなかったため、旧約聖書を指しています。つまりイエスは、旧約聖書全体に記されたメシア預言が、ご自分によって成就されていることを示されたのです。実際に、イエス・キリストによってすでに300以上のメシア預言が成就されたと言われています。
メシア預言一覧
以下の表では、イエスによって成就されたメシア預言の一部を紹介しています。預言が書かれた旧約聖書の箇所と、預言が成就した新約聖書の箇所を記していますので、ぜひ聖書を手に取って確認してみてください。
| 預言 | 旧約聖書箇所 | 成就箇所(新約聖書) |
|---|---|---|
| アブラハムの子孫である | 創世記22:18 | マタイ1:1、ガラテヤ3:16 |
| ユダ部族から出る | 創世記49:10 | ヘブル7:14、黙示録5:5 |
| ダビデの子孫である | イザヤ11:1〜2、エレミヤ23:5〜6、1歴代誌17:10b〜14 | マタイ1:1、ローマ1:3、黙示録22:16 |
| 処女から生まれる | 創世記3:15、イザヤ7:14 | マタイ1:18〜23、ルカ1:26〜35 |
| まず先駆者が現れる | イザヤ40:3〜5、マラキ3:1 | マタイ3:1〜3、マタイ11:10〜14、ルカ1:17 |
| ダビデの町、ベツレヘムで生まれる | ミカ5:2 | マタイ2:1〜6、ルカ2:4〜7 |
| ロバに乗る | ゼカリヤ9:9〜10 | マタイ21:1〜9、ヨハネ12:12〜15 |
| 30枚の銀貨で売られる | ゼカリヤ11:12~13 | マタイ26:14〜16、マタイ27:3〜10 |
| 苦しみを受ける | イザヤ50:4〜9、イザヤ52:13〜53:12、詩篇22篇 | マタイ27:26〜50、ルカ22:63〜65、1ペテロ2:22〜25 |
| 突き刺され、暴力的な死を遂げる | ゼカリヤ12:10、ゼカリヤ13:7、詩篇22篇 | ヨハネ19:34、ヨハネ19:37、マタイ26:31 |
| 衣がくじで分けられる | 詩篇22:18 | マタイ27:35、マルコ15:24、ルカ23:34 |
| その死の結果、エルサレムと神殿は破壊される | ダニエル9:24〜27 | マタイ24:1〜2、ルカ21:20〜24、紀元70年のエルサレム崩壊 |
| 裕福な人の墓に葬られる | イザヤ52:13〜53:12 | マタイ27:57〜60、ヨハネ19:38〜42 |
数学者のピーター・ストーナーは、このようなメシア預言の中で8つだけを取り上げて、8つすべてが一人の人物で成就する確率を調べたところ、1京分の1という確率が算出されました1。これを踏まえると、300以上の預言が実現することは、偶然では決して説明できないことがわかります。
イザヤ53章
メシア預言で最も有名なものは、旧約聖書のイザヤ書に記されているイザヤ53章です。
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。 5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。 6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、【主】は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。(イザヤ53:4~6)
この預言が書かれたのは紀元前8世紀頃、つまりイエスが登場する紀元1世紀よりも約700年前のことです。それにもかかわらず、その内容はまるで福音書に描かれたイエスの生涯をそのまま書き記したかのようです。実際に、ユダヤ人にこの箇所を見せて「これはどこに書かれているか」とたずねると、新約聖書だと答える人が少なくありません。しかし実際には、ユダヤ人が信じるヘブル語聖書、すなわち旧約聖書に記されているのです。
筆者自身、まだ信仰を持っていなかった頃にイザヤ53章を読み、新約聖書に記されたイエスが救い主であるというのは本当ではないかと思い始めました。すでにいくつかの福音書のメッセージに触れていたこともあり、イザヤ53章が700年後に登場するイエスの生涯を驚くほど正確に予告しているように思えたからです。
メシア預言の成就は捏造か
旧約聖書でメシア預言を読み、新約聖書でその成就を読んだ時、最初は捏造を疑いました。しかしよく考えると、メシア預言はユダヤ人が信じる旧約聖書に書かれています。ユダヤ人は、イエスをメシアだとは信じていません。もっと言うと、ユダヤ教には改革派から超正統派までさまざまな教派があり、教派間で教えが大きく違うのですが、イエスをメシアと信じないという一点においては一致団結している宗教です。つまり、キリスト教徒が旧約聖書の内容を書き換えることは不可能です。そのようなことをユダヤ人が許すはずがないためです。では逆に、キリスト教徒が旧約聖書の記述に合わせて新約聖書を捏造したという可能性はどうでしょうか。これも考えにくいと言えます。イエスの生涯は同時代の歴史家によっても部分的に記録されており、その内容は新約聖書の記述と基本的に一致しているからです(記事「エドウィン山内(マイアミ大学歴史学教授)『イエスの歴史性」」を参照)。
結論
聖書は、イエスが旧約聖書で約束されていたメシア(救い主)であることを証ししています。それゆえ、新約聖書ではイエスの権威について次のように記されています。
1 これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。 2 あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。 (ヨハネ17:1~2)
ここでは、イエスにすべての人を支配する権威と、永遠のいのちを与える権威が父なる神から与えられていると語られています。それはイエスが、神によって定められたメシア(キリスト)であったからにほかなりません。
主張2:イエスは神である
新約聖書は、イエスがメシアであるだけでなく、神ご自身であるとも語っています。
聖書箇所
イエスはご自分が神であることを、さまざまな場面で宣言されています。たとえば次の箇所では、神がモーセに告げたご自分の御名「わたしはある」(出エジプト3:14)をみずからに用いて、こう語っています。
それで、あなたがたは自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。(ヨハネ8:24)
「わたしはある」とは聖書の神「ヤハウェ」を指す御名であり、イエスはここでご自分がヤハウェであると宣言しています。また別の箇所では、さらに明確にこう語っています。
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」(ヨハネ8:58)
ユダヤ人の先祖であるアブラハムが生まれるよりも前から存在すると語ることで、イエスはご自分が神であることを宣言しています。周囲のユダヤ人たちも、この発言の意味を正しく理解していました。だからこそ、神を冒涜したとしてイエスを石打ちにしようとしたのです。
すると彼らは、イエスに投げつけようと石を取った。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。(ヨハネ8:59)
別の箇所でも、同様の主張をしたイエスに対してユダヤ人は次のように答えています。
ユダヤ人たちはイエスに答えた。「あなたを石打ちにするのは良いわざのためではなく、冒涜のためだ。あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ。」(ヨハネ10:33)
このように、イエスはご自分が神であると主張し、周囲の人々もイエスの意図を正しく理解していました。
「神」の意味
ここで誤解のないように補足しておきます。イエスは、数ある神々の一人だと語ったのではありません。また、イエスはご自分を「神の子」と呼ばれましたが、それは多くの神の子どもたちの一人という意味ではありません。日本語聖書では「御子」と訳されていますが、これはかけがえのないひとり子として、神と等しい方であることを意味しています。
イエスが主張されたのは、ご自分が天地を創造した神であるということです。次のみことばがそれを示しています。
父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。(ヨハネ17:5)
世界が始まる前からおられ、父なる神と同じ栄光を持っていたというこの言葉は、イエスが天地を創造した神であると宣言しているに等しいものです。
もしこのイエスの神性宣言が正しければ、つまりイエスが天地創造の神であれば、ご自分が天国に通じる唯一の道であると語ったとしても、何ら不思議ではありません。天国はイエスの創造物であり、イエスはその所有者であるからです。使徒パウロもイエスについて次のように証言しています。
なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。(コロサイ1:16)
パウロはここで、イエス(御子)がこの世界の創造主であることを明確に告白しています。
証拠:復活
イエスが神であることは、どのようにして知ることができるのでしょうか。聖書は、イエスの神性は復活によって証明されていると語っています。
3 …御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、 4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。(ローマ1:3~4)
ここでいう「神の子」とは、三位一体における子なる神という意味です。
また、イエスの弟子の中で最も疑い深かったトマスも、復活後のイエスと出会った時に次のように告白しています。
27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」 (ヨハネ20:27~28)
疑い深かったトマスも、十字架での傷跡が残っている復活のイエスに直接出会ったことで、「私の主、私の神よ」と告白するに至っています。なお、ここで「私の主」と訳されている「主」は原語のギリシャ語で「キュリオス」といい、旧約聖書における神「ヤハウェ」を指す言葉です。つまりトマスは、イエスこそが天地を創造した神、ヤハウェであると告白したのです。
トマスが復活したイエスを神と告白するに至った理由は、二つ考えられます。一つは、死者をよみがえらせる力を持つのは、生命を創造した神以外にはあり得ないという確信です。もう一つは、イエスがご自身の死と復活をあらかじめ正確に預言されていたという事実です。
それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。(マルコ8:31)
このような預言を語り、しかもそれを実際に成就する力を持つのは、天地を創造した神以外にはあり得ません。この確信こそが、トマスを「私の主、私の神よ」という信仰告白へと導いたのです。
イエスの復活の歴史性
イエスの復活は、聖書が語っているだけではなく、歴史的な資料によっても裏付けられています。イエスと同じ紀元1世紀に生きたユダヤ人歴史家ヨセフスは、著書『ユダヤ古代誌』(紀元93〜94年執筆)の中で次のように記しています。
さてこのころ、イエスス(イエス)という賢人──実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならば──が現われた。彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。そして、多くのユダヤ人と少なからざるギリシア人とを帰依させた。彼こそはクリストス(キリスト)だったのである。ピラトスは、彼がわれわれの指導者たちによって告発されると、十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは、彼を見捨てようとはしなかった。すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。─ フラウィウス・ヨセフス(秦剛平訳)『ユダヤ古代誌6』(筑摩書房、2000年)Kindle 版
また、新約聖書を歴史資料として扱う学者たちの間では(非キリスト教徒を含む)、以下の四つの出来事は史実であるという点でほぼ意見が一致しています。
- イエスの十字架上での死。これはタキトゥスやヨセフスなどの歴史資料でも確認でき、紀元30年頃の処刑は疑いようのない史実とされている。
- イエスが復活したという弟子たちの証言。紀元55年頃に書かれた1コリント15章3〜8節(復活後20年以内)では、十二使徒、500人以上の弟子、イエスの兄弟ヤコブ、そしてパウロが復活したイエスを目撃したと証言している。
- 弟子たちと敵対者たちの変容。かつて臆病だった弟子たちが殉教を覚悟して宣教に立ち上がり、またイエスの兄弟ヤコブやキリスト教の迫害者であったパウロが回心したことは、復活体験なしには説明がつかない。
- 空の墓。当時、法的な証言能力が低いとされていた女性たちを最初の発見者としていることは、逆に証言の信憑性を高めている(もし嘘なら男性を証言者にするはず)。また、ユダヤ人指導者たちも墓が空であることを否定せず、「弟子たちが遺体を盗んだ」と主張したこと(マタイ28:11〜15)は、墓が確かに空であったことを裏付けている。
以上を総合すると、イエスが復活したことは史実と考えた方が自然だということになります。このように、イエスの復活は歴史的な資料によっても検証できる出来事なのです。
結論
イエスはご自分が神であると主張し、それを証明するために死から復活されました。この事実を踏まえて、次のように言うことができます。
天国はイエスの所有物
先ほど紹介した「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません」(ヨハネ14:6)というイエスのことばは、次のような文脈の中で語られています。
1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。 3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。 4 わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」
5 トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。(ヨハネ14:1~6)
ここでイエスは天国を「わたしの父の家」と呼び、そこに弟子たちのための場所を用意すると語っています。これはイエスが御父とともに天国という家の主であることを示しています。
このことを踏まえると、イエスがご自分を天国への唯一の道だと語ったことは、ごく自然なことだと理解できます。自宅に人を招くことができるのは、その家の者だけです。天国が神の家であるならば、そこに人を招く権限を持つのも神だけということになります。ですから、イエスがご自分が天国への門だと語ったことは、傲慢でも何でもなく、むしろ当然のことと言えます。そして、どれほど優れた宗教家や思想家であっても、自分のものでない家に人を招くことはできないのです。
問題はイエスが傲慢かどうかではなく、イエスが本当に神であるかどうか、その一点にあります。そして、復活という証拠を踏まえると、イエスは神であるという主張には信じるに足る根拠があると言えるのです。
天国への唯一の道案内
イエスは天国への道を知っておられます。考えてみれば、自分が行ったことのない場所に人を正しく案内することはできません。天国への道は、地上を生きている人間は誰も行ったことがありません。すでに天国へ旅立った人もいるかもしれませんが、もはや地上にはいないため、道をたずねることもできません。
しかし、聖書は次のように語っています。
だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。(ヨハネ3:13)
イエスは天から下って人となられました。そして十字架上で死なれた後、死からよみがえり、天に上って地上に戻られた後、弟子たちを教えられました。天から下り、そして再び天に上られた方はキリストのほかにいません。だからこそ、キリストだけが天国への道を正確に案内することができるのです。それ以外の宗教家や思想家がどれほど優れた教えを説いたとしても、彼らはみな、まだ天に上ったことのない地上生涯の中で、自分の考えを語っているにすぎません。
イエスは、人であると同時に神でもあるので、神と人との間の橋渡しができる唯一の存在でもあります。聖書はこのことを次のように明言しています。
5 神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。(1テモテ2:5)
イエスは人であり、同時に神でもある方です。いわば、天と地をつなぐはしごのような存在です。だからこそ、私たちはイエスが天国への道を指し示す方であると信頼することができるのです。
> まとめまとめ
聖書によれば、天国に入ることができるのは「子羊のいのちの書」に名が記されている人、つまりイエス・キリストを信じて救われた人です。
なぜイエス・キリストだけが天国への道なのでしょうか。本記事ではその根拠として、2つの点を確認しました。
- イエスは旧約聖書で約束されたメシア(救い主)です。300以上のメシア預言の成就がそれを証明しています。
- イエスは天地を創造した神であり、天国の所有者です。この主張を裏付けるのが、イエスの復活です。復活は聖書だけでなく、歴史的な資料によっても検証できる出来事で、イエスが神であることを示しています。
家の主人だけが自宅に人を招くことができるように、天国に人を招く権限を持つのも神であるイエスだけです。また、イエスは実際に天から下り、死からよみがえって再び天に上られた唯一の方です。そのため、天国への道を実際に知っておられ、私たちに教えることができる唯一の方でもあるのです。
次回の記事では、具体的にイエス・キリストの何を信じれば救われるのかを、聖書から見ていきます。
> 参考資料参考資料
- アーノルド・フルクテンバウム博士(通訳:中川健一)『聖書が教える死後の世界 ― 個人的終末論 ―』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2012年)
- Alan W. Gomes, 40 Questions About Heaven And Hell (Kregel, 2018)
- David Jeremiah, Revealing the Mysteries of Heaven (Turning Point, 2017)
- Randy Alcorn, Heaven (Wheaton, IL: Tyndale House Publishers, 2004)
> 脚注脚注
-
Peter W. Stoner, Science Speaks (https://sciencespeaks.dstoner.net/) ↩

