聖書の語る「原罪」とは?

罪論

前回の記事「聖書が語る『罪』とは?」では、聖書が言う「罪」とは何かを解説しました。今回は、罪の中でも特に「原罪」と呼ばれる罪を取り上げて解説したいと思います。

罪の性質

前回の記事で見たとおり、人は罪を犯します。それは、人の内側から罪の思いが湧き出てくるためです。イエスは、マルコ7:20~23で次のように語っています。

20  イエスはまた言われた。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。 21  内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、 22  姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、 23  これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」

人の内側から罪の思いが出てくるのは、人が罪の性質を持って生まれてくるからです。つまり、両親から罪の性質を継承しているためです。この点について、ダビデ王は旧約聖書の詩篇51:5で次のように語っています。

5  ご覧ください。私は咎ある者として生まれ
罪ある者として 母は私を身ごもりました。 

ここでは、人は胎内にいる時から「罪ある者」だと言われています。言い換えると、人は生まれつき罪の性質を持って生まれてくるということです。

人が生まれながらにして罪人であることは、新約聖書のエペソ2:3で次のように言われていることからもわかります。

3  私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。 

「生まれながら御怒りを受けるべき」とは、人は生まれながら罪人だということです。神の怒りは罪に対して下るものだからです(1列王記16:2参照)。それでは、人はなぜ罪の性質を持って生まれてくるのでしょうか。その答えは、聖書の「原罪」という教えにあります。

罪の起源「原罪」

人類が最初に犯した罪を「原罪」と言います。原罪は、最初の人であるアダムとエバが犯した罪であり、人の罪の起源と言うことができます。

原罪は、創世記3章に記されていますが、その前に、この時の状況を確認しておく必要があります。神は、天地創造の後、創世記1:31でこう宣言されました。

31  神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。… 

「創造科学の父」と呼ばれるヘンリー・M・モリス博士は、当時の世界を次のように描写しています。

神の六日にわたる創造の事業が完成した時、世界はどこを見ても、すべては「はなはだ良い」状態でした。秩序の乱れているものは何一つなく、痛み、苦しみ、病、生存競争、不協和、罪もなく、その上何にもまして、死もありませんでした。1

神が創造された世界は、非常に良いものだったと聖書は語っています。つまり、今のような罪や争いに満ちた世界ではなかったということです。この後、神は、人類最初の人であるアダムに次のように命じます(創世記2:16~17)。

16  神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。 17  しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」 

創世記に記されている中で、これが神がアダムに与えた唯一の禁止事項でした。創世記第3章では、この禁止事項をめぐり、罪の起源となる出来事が起きます。

創世記3章

原罪は、創世記3:1~6に記されています。登場人物は、最初の人アダム(「夫」)と妻エバ(「女」)、そしてサタンが操る蛇(「蛇」)です。

1  さて蛇は、神である【主】が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」 
2  女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。 3  しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」 
4  すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。 5  それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」 
6  そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

この「蛇」は、文字どおりの「蛇」(創世記3:14参照)と、蛇に入っていたサタン(悪魔)の両方を指しています(創世記3:15、黙示録12:9、20:2参照)。この「蛇」は、神が創世記2:16~17でアダムに与えていた禁止事項に言及し、アダムとエバが神に背くように、次の方法で誘惑します。

罪の誘惑の手順

蛇は、エバが神に逆らうように次の手順で誘惑します。

(1)神のことばに対する疑いをかける(「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか」)

神のことばは、善悪の知識の木のほかは、どの木からでも実を取って食べてよいというものでした。しかし、蛇は「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか」(創世記3:1)と問いかけ、神はアダムとエバに良いものを与えないで、不必要に行動を制限しているという印象を与えようとします。

これに対し、エバは「『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました」と答えます。ここで注意が必要なのは、神は「それに触れてもいけない」とは語っていないことです。この追加された言葉で、「神は必要以上に厳しい方だ」という不満がエバに芽生え始めていることが見て取れます。また、エバは「『あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました」と答えていますが、実際には「あなたは必ず死ぬ」と言われており、「必ず」という言葉が抜け落ちています。ここで、エバが蛇の罠にかかって神のことばに対する疑いを持ち始めていることがわかります。

(2)神のことばを否定する(「あなたがたは決して死にません」)

「必ず」という言葉が抜けていることに目を付けた蛇は、すかさず「あなたがたは決して死にません」(創世記3:4)と断言します。これは、「その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ」という神のことばの全否定です。蛇がそう語った後、エバは「その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった」と思うに至ったことが記されています。その結果、エバは実を取って食べ、アダムもそれにならうことになります。この行為は、神の命令に反することであり、人類最初の罪「原罪」となりました。

罪の誘惑の領域

この蛇の誘惑では、罪の誘惑がある3つの領域が示されています。この3つの領域は、1ヨハネ2:16に記されているものと同じです。

16  すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。 

人が罪に誘惑されるのは、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢という3つの領域で起こります。創世記3:6の「そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった」という一文には、エバがこの3つの領域で誘惑されたことが示されています。

  1. 肉の欲(「その木は食べるのに良さそうで」)
  2. 目の欲(「目に慕わしく」)
  3. 暮らし向きの自慢(「その木は賢くしてくれそうで好ましかった」)

尾山令仁訳『現代訳聖書』では、この3つの領域をもう少しわかりやすく「肉欲、貪欲、虚栄」という言葉で表現しています。この3つは、人が罪に誘惑される領域を示しています。この3つの領域に対する誘惑は、イエスがサタンに受けた「荒野の誘惑」でも繰り返されています(マタイ4:1~11、マルコ1:12~13、ルカ4:1~13)。

罪の根源

創世記3章には、罪の誘惑の方法と領域だけではなく、罪の根源についても記されています。蛇は、創世記3:5で「それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となる」とエバに語りかけています。エバはこの言葉に誘われ、罪を犯しました。これは、サタンが堕落したきっかけとなる罪と同じ罪でもありました。サタンは、元はケルビムという最高位の御使いでしたが、神のようになるという野望を抱いて堕落したという記述があります。イザヤ14:13~14はその記述で、神がサタンに対し、次のように語っています。

13  おまえは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山で座に着こう。 14  密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』 

この「神のようになる」という思いが、罪の根源にあります。神のようになりたい、神のようにすべてを手にしたいという思いが、人のどこかにあるのです。この思いを利用するのが、異端の教えです。たとえば、モルモン教では、人間は神のようになれると教えます。また、「繁栄の神学」や「新使徒運動(NAR)」と呼ばれる教えでも、あなたは「小さな神」になれると教えます。しかし、このような教えは、人の根源にある神のようになりたいという罪を利用した間違った教えであり、聖書の教えではありません。

MEMO
繁栄の神学や新使徒運動(NAR)の「小さな神」の教えについては、こちらを参照してください。

罪の結果

蛇はエバに、「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです」(創世記3:4~5)と約束しました。この言葉は、一部実現しましたが、それ以外はまったくの嘘でした。罪とはそういうものです。罪が約束することは一部実現しますが、それを上回る負の結果を背負うことになります。この蛇の約束がどうなったかを通して、人類が初めて犯した罪の結果を見ていきましょう。

「善悪を知る者となる」→ 悪を知る

アダムとエバは、知的には「悪」を知っていましたが、体験的には神の作った世界の「善」しか知りませんでした。創世記1:31では、次のように言われています。

31  神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった

ここで「良かった」は、原語のヘブル語では「トーブ」という単語です。そして、善悪の知識の木の「善」も、ヘブル語では「トーブ」です。つまり、アダムとエバの住んでいた世界は「善」で満ちていたのです。しかし、アダムとエバは罪を犯し、「悪」を体験的に知ることで、「善悪を知る者」となりました。これはサタンの言葉通りでしたが、アダムとエバが予想していなかった皮肉な結果となりました。

「目が開かれて」→ 罪責感が生まれた

アダムとエバが罪を犯した直後の創世記3:7では、次のように言われています。

このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

蛇はエバに「目が開かれる」と約束していました。ここでアダムとエバは、実際に「目が開かれる」経験をします。ただ、それは、これまで感じていなかった罪責感や恥を感じるようになるという形で実現します。

「あなたがたは決して死にません」→ 霊的にも、肉体的にも死ぬ

この蛇の約束は完全な嘘でした。蛇の言葉とは反対に、人は霊的な死と肉体の死という2つの死を体験することになります。

霊的な死

霊的な死とは何かがわかる聖書箇所の一つに、次の創世記3:8があります。

そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である【主】の声を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて園の木の間に身を隠した」

アダムとエバは、罪責感から、神を避けて身を隠すようになります。そして、結果的にはエデンの園を追放されます(創世記3:23)。罪は、神と人の関係を断絶し、人を神から引き離す結果をもたらしました。イザヤ59:1~2では、次のように言われています。

1  見よ。【主】の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。 2  むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

ここで罪は、神と人の間の仕切りになると言われています。罪によって神と切り離された状態が「霊的な死」です。この状態は、今も続いています。人は、肉体的に生きていても、霊的に死んだ状態で生きていることは、聖書の随所で語られています。エペソ2:1で、使徒パウロは次のように語っています。

1  さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、

これは、エペソの教会の信者に対する言葉で、キリストを信じる前は「自分の背きと罪の中に死んでいた」と語っています。もちろん、この手紙は生きている人に宛てて書かれているのですから、ここで言う「死」とは肉体的な死ではなく「霊的な死」のことです。

肉体の死

アダムとエバは、罪を犯したその場で息絶えるということはありませんでした。肉体の死は、徐々にやって来ました。人は、罪を犯した時から、病や弱さを経験するようになり、最後は肉体的に死ぬようになったのです。ローマ5:12で次のように言われているとおりです。

12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がった……

被造物全体に対する罪の影響

罪の影響は、人類だけでなく、被造物全体(自然界)にも及びました。パウロはローマ8:20~22で次のように語っています。

20  被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。 
21  被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。 
22  私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。

人の罪によって、被造物は「虚無に服し」「滅びの束縛」に入れられ、自然界も堕落したと言われています。つまり、自然界に死が入り、滅びに向かうようになったのです。

創世記の歴史性

以上、創世記3章に記されている原罪について説明してきました。しかし、多くの人は、創世記の記述、特に創世記1~11章を神話や寓話と考えます。しかし、こうした記述を神話や寓話と考えると、聖書全体の主張が成り立たなくなります。聖書の記述では、創世記の記述は歴史的事実として扱われているからです。以下に、そのような聖書箇所を紹介します。

イエスの言葉

イエスは、マタイ19:3~6で次のように語っています。

3  パリサイ人たちがみもとに来て、イエスを試みるために言った。「何か理由があれば、妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか。」 4  イエスは答えられた。「あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。 5  そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである』と言われました。 6  ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」 

イエスは、創世記1:27(4節)と創世記2:24(5節)を引用し、結婚に関するご自分の教えの根拠としています。イエスは、明らかに創世記の記述を歴史的事実として引用しています。

旧約聖書

旧約聖書でも、創世記の記述を歴史的事実として言及している次のような箇所があります。

あなたは確かに知っているはずだ。昔から、人が地の上に置かれてから、 
悪しき者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみは束の間だ。(ヨブ20:4~5)

「人が地の上に置かれて」という言葉は、明らかに創世記2:82への言及です。

新約聖書

使徒パウロも、ローマ5:12で原罪について言及し、次のように語っています。

21  こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった…

また、1テモテ2:13~14でも、パウロは創世記2~3章の記述に言及し、次のように語っています。

13  アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。 14  そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです。 

また、2コリント11:3でも次のように言われています。

3  蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。 

イエスも使徒も、創世記の記述を歴史上の事実として扱っています。そして、創世記の記述を根拠として議論を展開しています。つまり、創世記の記述を神話や寓話だとしてしまうと、聖書が語っていることの土台が崩れてしまうことを意味します。

まとめ

無神論者は、神が善で全能の方であれば、なぜ世界には多くの災害や悲劇があるのかと問います。しかし、聖書は創世記3章で、その答えを出しています。世界は「非常に良い」ものでしたが、アダムが原罪を犯したことにより、罪と死がこの世界に入り、自然界も影響を受けたためです。また、原罪の背後にいるサタンという霊的存在も無視することができません。人類史上に見られるさまざまな大虐殺や狂気は、サタンのような存在を抜きにしては語れません。創世記を作り話だとするなら、この答えに対して目が閉ざされたままになります。

人が罪の性質を持って生まれてくるのも、アダムが犯した原罪を引き継いで生まれてくるためです。ただ、ここで、アダムとエバが犯した罪の結果をなぜ自分が負う必要があるのかと問う人がいるかもしれません。このような疑問が湧き上がってくるのは当然のことです。これは罪の問題がどのように解決されるかということにも関係してきますので、次の記事でこのテーマの解説をしたいと思います。

参考資料

  • 中川健一「B-6-2 人間の堕落」(ハーベスト聖書塾テキスト)
  • Arnold Fruchtenbaum, “MBS088 The Fall of Man” (Ariel Ministries)
  • Arnold Fruchtenbaum, Ariel’s Bible Commentary – The Book of Genesis (Ariel Ministries, 2008)
  • Lewis Sperry Chafer, Major Bible Themes (Zondervan Publishing House, 1974)
  • Charles C. Ryrie, Basic Theology (Moody Publishers, 1999)
  • “What are the consequences of sin?,” Got Questions (https://www.gotquestions.org/consequences-of-sin.html)
  1. ヘンリー・M・モリス著(宇佐美正海訳)『創世記の記録』(創造科学研究会、1992年)

  2. 創世記2:8「神である【主】は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた」

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