> ルカ23:34ルカ23:34
34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
> 証し:淵田美津雄の目を開いた祈り証し:淵田美津雄の目を開いた祈り
この証しは、「敵を愛せよ ― ルカ6:27」のマーガレット・コヴェルの話の続きである。
真珠湾攻撃の総隊長を務めた淵田美津雄は、戦後、米国で捕虜となっていた男から一つの話を聞いた。その話とは、日本軍に殺害された宣教師夫妻と、米国で両親の帰りを待っていた娘の話である。
このコヴェル宣教師夫妻は、フィリピンで日本軍に捕らえられた。スパイの容疑をかけられた夫妻は、両手を縛られ、眼かくしをされ、処刑されようとしていた。しかし、夫妻は、日本兵の振りかざす日本刀の下で、熱い祈りを捧げていた。それを知った娘のマーガレットは、一つの決意をする。
マーガレットは、地上におけるこの最後の祈りで、両親は、どのように祈られたかを思うてみた。するとマーガレットの胸に、私はこの両親の娘として、両親の祈りを思うとき、私の在り方は、憎いと思う日本人たちに憎しみを返すことでない。憎いと思う日本人たちに対してこそ、両親の志をついで、イエス・キリストを伝える宣教に行くことだと思った。
ただ、淵田には一つの謎があった。
…帰途、いい話だなあと繰返し思い出していたのだが、私に一つ分らないのは、あの宣教師夫妻の最後の祈りであった。どのような祈りであったのだろうかと推察してみても分らなかった。
しかし、この謎は、淵田がルカの福音書23章を読んだ時に氷解する。
そのとき突然、ああ分ったと私はうなずいた。なにが分ったのか。あのマーガレット・コヴェルの両親の宣教師夫妻の最後の祈りが分ったのである。私はイエス・キリストに従う人たちによって祈られる祈りというものは、イエス・キリストと同じ立場におかれたら、イエス・キリストと同じ祈りをなさるに違いないと思ったのである。即ち、
「天の父なる神さま、いま日本の兵隊さんたちが、私や妻を殺そうとして、日本刀を振り上げていますが、この人たちを赦して上げて下さい。この人たちは何をしているのかわからずにいるのです」
そして、この祈りが応えられて、マーガレットを打ったのである。私は感激の涙が頰をつたうのを覚えた。
この体験の後で、ある日、淵田は次のような気づきを得る。
そのときである。突如、イエスの啓示が私に閃めいた。私はハッとした。
「彼らをお赦し下さいという彼らの中に、お前も含まれているのだぞ」
との啓示であった。すると次の祈り「彼らはなにをしているのか分らずにいるのです」という言葉が私の胸を突き刺した。
そして、1950年2月26日、淵田はキリストを自らの救い主として受け入れた。
出典:淵田美津雄『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』(講談社文庫)(Kindle 版) p.359~360