新島襄(同志社大学創立者)「神を信じる理由」

新島襄

 同志社大学の創立者・新島襄(1843〜90)は20歳のとき、はじめて漢訳聖書の抜粋を読んだ。
 「元始に神天地を創造りたまえり」というはじめの一句を見て、彼は考えこんだ。
 「なるほど、この世界のあらゆるものは、これを造った神さまがいなくてはできないはずだ。机は大工がつくったものだ。その机をつくった大工が用いた材木も、けっして人間が造ったものではない。すると、この書物にあるとおり、この世には真の神さまというものがいて、この天地万物をつくり、ご支配しておられるにちがいない」
 納得した彼は、目には見えないが天地創造者である神を信じた。

 その翌年の1864年7月、彼は幕府の監視の目をくぐって米国船に乗せてもらい、函館から米国へと渡った。そして、66年12月、彼は米国で受洗した。

 新島襄は米国に着くと、乗っていた船の船主であるA・ハーディの援助によって、10年の歳月をかけてアーマスト大学を卒業した。さらに、ハーディの援助のもと、なおもアンドーバー神学校へと進むことができた。
 74年に神学校を卒業し、会衆派のアメリカ海外伝道協会の宣教師となった彼は、キリスト教主義の学校を設立すべく日本へと帰ってきた。

出典:中川健一『クレイ聖書解説コレクション「ヨブ記』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2016年)

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