ジョン・ロック(政治哲学者)「キリストの復活の重要性」

ジョン・ロック

17世紀に『統治二論(市民政府論)』を著した英国の政治哲学者、ジョン・ロックは、キリストの復活の重要性について次のように語っています。

救い主の復活は…キリスト教では特に重要です。あまりにも重要なので、イエスが救い主かどうかは、この一点にかかっていると言ってよいほどです。この二つのことは切り離して考えることができず、実質的に一つなのです。復活以降、一方を信じれば両方を信じることになり、一方を否定すればどちらも信じることができないのです。
ー Josh McDowell, Evidence that Demands a Verdict, eBook: Historical Evidences for the Christian Faith (Thomas Nelson) p.183 (Kindle 版)

“Our Saviour’s resurrection… is truly of great importance in Christianity; so great that His being or not being the Messiah stands or falls with it: so that these two important articles are inseparable and in effect make one. For since that time, believe one and you believe both; deny one of them, and you can believe neither.”

また、復活はイエスがメシアであることを証明する最も有効なしるしであると語っています。

救い主の生涯の中には、メシアにしか当てはまらない事項がいくつもあります。そのようなメシアのしるしが無数にあるので、ナザレのイエスがなさった出来事を信じることは、事実上、イエスをメシアと信じることと同じで、どちらを言ったとしても同じです。その最たるものが、イエスの死からの復活です。これは、イエスがメシアであることを示す最も偉大でわかりやすい証拠であり、イエスの復活を信じる人々が、イエスをメシアと信じることはまったく不思議ではありません。イエスの復活を宣言することは、イエスがメシアであると宣言することと同じだからです。
ー Josh McDowell, Evidence that Demands a Verdict, eBook: Historical Evidences for the Christian Faith (Thomas Nelson) p.192 (Kindle 版)

There are some particulars in the history of our Saviour, allowed to be so peculiarly appropriated to the Messiah, such innumerable marks of Him, that to believe them of Jesus of Nazareth was in effect the same as to believe Him to be the Messiah, and so are put to express it. The principal of these is His Resurrection from the dead; which being the great and demonstrative proof of His being the Messiah, it is not at all strange that those believing His Resurrection should be put forth for believing Him to be the Messiah; since the declaring His Resurrection was declaring Him to be the Messiah.

画像:Wikimedia Commons

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です