1871年に来日し、静岡学問所の英語教師に赴任した米国人エドワード・クラークは、幕末の幕臣、勝海舟(勝安房守)と友好関係にあった。クラークは帰国後、『Katz Awa, “the Bismarck of Japan”(勝安房・日本のビスマルク)』という著書で、勝のことを次のように記している。
数年前のことだが、ジョージ・ニーダム師が、日本に伝道旅行に来るというので、来日したら、ぜひ、勝安房に会いに行ってほしいと手紙を出した。彼は、東京に着くや、日本人の牧師を通訳として、すぐに勝氏に会いに行ったという。勝安房は私からの招待状を読み、信仰深い訪問者二人を、丁寧に迎え入れた。一時間か、それ以上、勝氏は、ニーダム師が語る福音の真理に耳を傾けた。対談は、聖書に出てくるピリポとエジプトの宦官の会話のように、短くはあったが、たいへん印象深いものだった。
ニーダム師は終わりに、少し躊躇しながら、勝氏に、ひざまずいて祈りたいかどうか尋ねた。勝氏は、即座に同意し、祈りの言葉は、日本人牧師により、一行ずつ、日本語に訳された。
祈りを終え、彼らが立ち上がると、勝氏は、涙に濡れた目をして立っていた。そして、ニーダム師の手を握りしめ、“人生で一番すばらしい恵みの時でした“と低い声で感謝を表した。
日本人はめったに感情を見せない。ここにいる人物は、刺客となり得る者たちに臆せず立ち向かってきた。これが、キリスト教の説教で、心を打ち砕かれたのだ。ひとたび、真理を知ると、それは、神の力がなす業であり、人々を救いへの導く。
ー 守部喜雅『勝海舟 最期の告白: 聖書を読んだサムライたち』(フォレストブックス、2011年)p. 104~105
ー Edward Clark, Katz Awa “the Bismarck of Japan” Story of a Noble Life
また、クラークは勝海舟が生前にキリストに対する信仰を告白していたとし、次のように記している。
勝氏が亡くなる二週間ほど前だったと思います。ウイリスは、勝氏の口から、直接、『私はキリストを信じる』とはっきりと聞いたといいます。それを知って、私の心は歓喜に満たされました。
ー 守部喜雅『勝海舟 最期の告白: 聖書を読んだサムライたち』(フォレストブックス、2011年)p. 106
ー Edward Clark, Katz Awa “the Bismarck of Japan” Story of a Noble Life