ルカ6:27 ― 敵を愛せよ(真珠湾攻撃隊長・淵田美津雄の証し)

淵田美津雄

ルカ6:27

27  しかし、これを聞いているあなたがたに、わたしは言います。あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。

証し:マーガレット・コヴェルの献身

真珠湾攻撃の総隊長で、戦後回心してキリスト教の伝道師となった淵田美津雄の証しを紹介する。

戦後まもなくの頃、まだキリストを知らなかった淵田美津雄は、連合国側の勝者による一方的な戦犯裁判に腹を立てていた。淵田は、何か反論のネタがほしいと思い、帰国した捕虜に米軍から受けた虐待について話を聞いて回っていた。そのような時に、負傷して米国で捕虜となっていた一人の男がこう話しかけてきた。

「しかしね、淵田大佐、私たちの方の話もお聞かせいたしましょう。ここにいる一団はですね、ユタ州のキャンプにいたのですが、そこでの話です。そのことの故に、私たちはみんな、いま話に出ているような恨みつらみや憎しみを水に流して、恩讐の彼方、光風霽月(こうふうせいげつ)といった気持で帰って来ました」

驚いた淵田は、この男から詳しく話を聞いた。

ある日、この男がいた捕虜病院に、マーガレット・コヴェルという二十歳前後のアメリカ人女性が訪れてきてこう言ってきたという。

「皆さん、何か不自由なことがあったり、何か欲しいものがあったりしたら、私におっしゃって下さい。私はなんでもかなえて上げたいと思っています」

実際に、マーガレットはその言葉どおりに毎日訪ねてきて、必要な者を差し入れし、献身的に看護してくれた。心打たれた捕虜たちは、次のようにたずねた。

「お嬢さん、どういうわけで、こんなに私たちを親切にして下さるのですか?」
お嬢さんは始め言葉を濁していたが、あんまり問いつめられるので、遂におっしゃった。
「いいえ、私の両親があなたがたの日本軍隊によって殺されたからです」

マーガレット・コヴェルの両親は、日本に遣わされていたバプテスト系の宣教師だった。コヴェル宣教師夫妻は、日米開戦が近くなってマニラに移ったが、開戦直後にフィリピンは日本軍に占領された。そして、日本の敗戦が色濃くなっていた時に、日本軍にスパイと間違われて処刑されていたのだ。

この事実は、両親の帰国を待つ娘のマーガレットに伝えられた。マーガレットは日本兵に対する怒りで満たされたが、現地のアメリカ軍からの報告書にあった現地人の証言が目にとまった。

 それによると両親の宣教師夫妻は両手を縛られ、眼かくしをされて、日本兵の振りかざす日本刀の下に引き据えられながらも、二人は心を合せて熱い祈りが捧げられていたという。

この両親の祈る姿が、マーガレットに一つの決意をさせた。

 マーガレットは、地上におけるこの最後の祈りで、両親は、どのように祈られたかを思うてみた。するとマーガレットの胸に、私はこの両親の娘として、両親の祈りを思うとき、私の在り方は、憎いと思う日本人たちに憎しみを返すことでない。憎いと思う日本人たちに対してこそ、両親の志をついで、イエス・キリストを伝える宣教に行くことだと思った。

まだ戦争が終わっていなかった当時、日本へ行くことはできなかった。しかし、日本兵の捕虜収容所が自分の町にあると聞き、マーガレットは決意を行動に移したのだった。

出典:淵田美津雄『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』(講談社文庫)(Kindle 版) p.336~341

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